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2.そのキスを残して
 最近とても恐ろしい夢を見る。
 黒い蝶が幾万も私の上から降るように飛んできて、そしてその黒で私を覆ってしまうのだ。気がつけば私はただの黒い塊となっており自分が何なのかさえもわからなくなってしまう。
それがとても怖い。しかも、最近は毎晩とこの夢を見てしまう。
 何故?
 決まってる。原因はわかってる。
 けれども言わない。
 言ってはいけないのだ。

*

 という少女はいたって普通な女子であった。美しいともいえばそうも見えるかもしれないが、普通といえばいたって普通と言える範囲。
歳は十七。華の――と言えるかはわからないが今年で高校二年生になる。

名前を呼ばれることを最近自分は恐れている。
!」
背中から聞こえた声に、はふっと俯き気に下げていた顔を上げる。明るい声に後ろを振り返ると、新堂隼人が手を振ってこちらに向かってきていた。

 新堂隼人というのはと同じ十七歳で高校二年生そして、同じクラスに通う彼女の幼馴染という存在であった。愛嬌の良い性格で、日に透ける茶色い髪と瞳を持っている。朗らかなその笑顔はとても人懐っこいもので、は幼い頃から彼に対して安心とも信頼とも言える絶大な気持ちを感じている。
「早いな」
「うん」
 ニコリとぎこちない笑顔を作り、は微笑んだ。隼人もにこりとそれに返し、照れ隠しをするよう茶色い髪をがりっと掻いた。
「あのさ」
「うん?」
言いにくいことでもあるのか、を見る隼人の目は明らかに泳いでいた。揺らぐその茶色い瞳を見て、はふとそれとは違う黒い瞳を思い出す。
「お父さん。亡くなってたんだって」
「うん」
がそう即答すると、隼人は「あー」と生声を出し。今度は首に手を沿え、俯くように頭を下げた。
「ごめんな。気付けなくて」
「無理も無いもの。通夜は連休の間に終わらせて、学校には顔を出してたから。気付いたのは隼人が初めて」
「そっか」
隼人がそう言うと、二人の間に沈黙が流れる。けれどもそれはけして居心地の悪いものでなく――むしろ良い空気。
 ふっとは足を止めた。目の前の電柱に、背を預け立っている男が居たからだ。遠目でも目を凝らせば、彼の黒い瞳と髪がわかった。間違いない。深崎だ。
「どうかした?」
「ううん。何でもない」
隼人が気遣うように言う言葉に、は笑顔で首を振った。そうだ、気になんてしなければいい。藤矢なんて空気と同じだと思って笑って歩いてしまえばいい。今、彼がここに居るのはきっと可愛い彼女とでも待ち合わせしているんだわ。
「それで。ねぇ、隼人。私――」

遮るような声。刃物で背中を刺されたように、は俊敏に後ろを振り返った。後ろには儚く微笑む深崎が立っており。鞄を腕に挟んだまま、と隼人を振り返っていた。
あぁ、やっぱり。放っておいてなんかくれない。
「酷いな、一緒に学校へ行こうと思ってたのに。気づいていただろ?」
「誰?」
 "にこにこ"といった効果音が入りそうなほどに微笑んでいる深崎を見て、隼人は首を傾げ深崎を指差しに尋ねた。それがちらりと視界に入ったのか、深崎は細めた目を元に戻し「僕かい?」と隼人に尋ねる。深崎のその言葉に隼人はこくりと静かに頷く。
「ただの血縁者さ――彼女の父親は僕の母の兄なんだ」
「へぇ」
知らなかったと感心をしめす彼を見て、深崎はくすりと笑みを漏らす。
「けど。どうやら今日はお邪魔みたいだ――僕は消えるとしよう」
そうして、何事も無かったかのように彼は達の横を過ぎ去ろうとコツコツと靴の底を鳴らし歩いていった。
「え――!」
 突然の力を感じ、は小さくそう零した。深崎がの肩を引き寄せたのだ。そしてそのとっさのその間に彼は、触れるような口付けを彼女にした。思わぬ深崎の行動には大きく目を見開く。
深崎はから顔を離し、そして彼女の隣に居る新堂を見た。隼人は突然の出来事を茫然とした様子で見ておるようで、心ここにあらずといった顔だった。で、顔を朱に染め、己の唇を噛み締め俯くように伏せている。
「それじゃぁ、挨拶も済んだし――僕は学校へ行くよ」
俯き気味の彼女の耳元へ口を近づけ、深崎は囁く。
「寄り道せずに帰ってくるんだよ」



  そのキスを残して、何故去るの?
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