26:Awaking


「すまないね――パッフェル」
 ギブソンはドアを静かに開き、その先にいる女性にそう礼を述べた。その言葉に女性は「いえいえ〜」と、明るい声色を出し。「まるで気にしていませんよ」と言った。はぼうっと女性を見ていた。何だか見慣れない格好をしている。ピンク色に近い淡い紅色のミニスカートというとても可愛らしい服。その上には見合わせたように幾重にも重ねられた白いフリルのエプロンが重ね付けされている。服と同じような淡い白を加えたような紅色の髪は短く切り添えられたもののように見えたが、よくよく見れば長くなったそれを後ろで一くくりにまとめてある。にこやかに目を細めたその顔はとても愛嬌があるもので、初めて彼女にあったでも素直に好感をもてた。
「こんにちは」
 はじめは自分が女性に声をかけられていると気付けなかった。数秒の間があってやっと彼女が自分に挨拶をしてくれたのだと気付き、は慌てて頭を下げた。
「あ、こんにちは!」
「あはは。元気のいいお方ですね、ギブソンさん」
「そうだね」
 朗らかに二人は和気藹々と会話をしているが、は「パッフェル」と呼ばれたその女性を見て――一体誰なのだろう?と首を傾げる。その表情に気付いてか女はを見て、「あぁ」と声を上げた。
「私が誰だかわかります?」
「――ごめんなさい」
 「わかりません」と、はしゅんっと頭をうな垂れた。その彼女の下がった頭を見て、パッフェルは再び「あはは」と笑い声を上げた。余りにも声の高い笑いなので、は驚いて顔を上げた。パッフェルの細められた瞼の奥にある茶色い瞳が、の黒い瞳を見つめた。
「いいんですよ。誤ることなんかじゃないんですから――でも、この格好を見てわかりません?わかりませんか――それなら、これは?」
 そう言ってパッフェルは腕に抱えてたバスケットをの前に差し出した。とても大きなバスケットだ。そのバスケットの上にも埃が入るのを防ぐためなのか、白いレースの布が置かれている。それに微かにだけど――甘い香りがする。
「いい匂い」
「そうだろう」
 答えを返したのはパッフェルでは無く、ギブソンだった。の隣に居る彼は何が待ち遠しいのかプレゼントを貰う直前の小さな子供ようにうきうきとした笑顔での前にあるバスケットを見つめている。――一体何?はますます首を傾げたい気持ちになった。
「ここのケーキの味は私が保証するよ。最高なんだ」
「ケーキ?」
 はそう確認するように呟いて再びバスケットに目を向ける。鼻腔をくすぐるその甘い香りは確かに生クリームのような香りだ。
「そういうことです。私はこのお店の配達人。よろしくお願いしますね――えぇっと?」
です」
さんですか。私はパッフェルと言います――それで、ギブソンさん?ケーキはどちらにお運びいたしましょう?」
「あぁ、すまないね。パッフェル。いつものテラスに置いててくれ」
 ギブソンがそう注文すると、パッフェルは「はいはい!」と気の良い返事を返し、足早にテラスのある場所へと向かっていった。しばらくたって開いた玄関のドアを閉じギブソンも彼女の後を追う、しかし彼は振りかえる間際にの方をくるりと振り返り問いかけた。
「君もどうだい?」
「あ――ごめんなさい。出かける約束があるんで――ケーキは好きなんですけど」
「そうか、それじゃぁ君の分を取っておいて上げるよ。帰ったらでもいい。ゆっくりパッフェルの運んできたケーキを味わってくれ」
 「ありがとうございます」と呟くに再びにこやかに笑い――ギブソンはパッフェルの後を追った。


「急がなくちゃ」
 ギブソンの意外な一面を知った直後、は慌てて玄関ホール奥の階段へと走っていった。急がなくては――マグナと約束した時間に間にあわなくなってしまう。

 その階段はこの屋敷にあったどの階段とも違った雰囲気をかもし出していた。埃を被ったその一段にチラリと目を通してみると子供のような小さな足跡が乱雑に上へと上がっているのが伺える。この足跡はきっと、バルレルの物だ。埃を立てぬよう、慎重に歩みを進める。木の軋む音が静まった空気を通しての耳へと入ってくる。たどり着き――ドアに目を通してみると――そこもやはり古ぼけたものだった。茶色い木製のそれには幾つもの染みのような後が残っており、が今まで見た部屋と同じ屋敷にあるとは思えないものだった。ドアノブに手を伸ばす、錆付いた感触と――薄暗いこの場所で冷え切った温度が手に触れ、その瞬間。背中にゾッとしたものを感じた。

 ギイッ――っと、古ぼけた部屋を上げると、そこは薄暗い場所だということに気づいた。ドアをくぐった瞬間に鼻を強く突く、かび臭い香りがあった。その匂いには眉間に皺を寄せる。薄暗い部屋の中――辺りを見回してみる。その部屋には大きな棚が幾つもあり、その中は隙間も無いほど分厚い書物が入れられていた。ここは――書庫だろうか?
「バルレル」
 見えないその姿は何処にあるのだろう?は暗いその部屋に、一足だけ踏み出した。その瞬間――バサバサっと何かが崩れ落ちるような音がした。びくりと肩を揺らし、は瞳を閉じ思わず立ち止まった。しばらくの間沈黙が流れる。そろりと黒い目を見開くと、視界の左端から白い煙――否、埃が舞っていた。
「バルレル?」
 は軽く駆け出すようにその場所へと向かった。ドアからは見えなかった――一番左端の棚の通りをそろりと覗き見る。思ったとおり棚から落ちたのであろう――何十冊という大量の本が山となってそこに積み重なっていた。
「バルレル?」

 は再びそう山となった本に向かって呼びかける。幾秒かの間があって――バサリと本の中心から何かが現れた。は驚きの余り飛び跳ねるように後ろへ傾き、どすんっと尻餅をついてしまった。
だー――くそっ!
 本の中心から現れたのは確かに自分の呼び出した護衛獣だった。赤い目をこれ見よがしに光らせて、彼はいらいらとしたようにガシリと自分の頭を掻いた。は立ち上がった彼を見上げ、ほっと安堵の息を吐く。
「バ、バルレル――?」
「あぁ?――何してんだ……お前」
 しばらくの間バルレルは目を泳がしていての姿を探していたが、やがて自分の前で座り込んでいる彼女を見て呆れたように低い声を出した。
「バルレル。貴方、本を読んでたの?」
「読んじゃいけねぇのかよ」
 バルレルは腕に着いた埃を乱雑に払っている。そして、「ケホッ」っと小さな子供らしい咳をした。そうして今度は下に落ちている本に手を伸ばす――不思議そうに――というよりも、信じられないといったほどには驚いた顔で本を棚に並べ直しているバルレルを見る。彼は彼での質問が気に障りでもしたのか不機嫌そうに顔を歪めて受け答えを返した。
「俺だってたまには読みたくなる」
「悪いなんて言ってないわ。いい事じゃない。それどころか――感心した」
 がにこにこといった表情に取り付け、そう訂正を入れるとバルレルはふいっと顔を背け「ふん」っと息の荒い返事を返した。照れくさいのだろうか?耳の赤いバルレルの後姿を見て、はますます自分の顔に笑みが広がることになった。

「ねぇ、今は忙しいの?」
「見ての通りだ」
 バルレルはを視界に入れまいとでもするようにせかせかと地面に落ちた本を手に取り――棚に詰め――手に取り――棚に詰めている。だが次第に子供の身長ではつらい位置に達したのだろう背伸びをしながら彼は何とか本を棚に入れている状態となった。それを見ては彼の横に立ち、彼が空中をさ迷っている手から本を取り――高い棚に入れてやる。
「何でそんなことを聞く」
「え?何でって?」
 がそう返すとバルレルは顔を伏せ「だから」「どうして忙しいとか――聞くかって事だよ」と、とても小さな声で囁いた。
「あぁ――それは。また一緒に街へ行こうかと思って」
「そうか――じゃぁ、却下。程度のいい土産でもあれば話は別だけどな」
 そう言ってバルレルはにやりと怪しい笑いをに向けた。ようするにこの前のように"酒を買え"と言う事だろうか?「それに俺は忙しいんだ」と、彼は言い残して何処かへテクテクと歩き出した。どうやら高い棚に入れるためのハシゴを持って来たらしい。それを本棚に掛け、彼は再び本を棚に詰め始めた。悪魔だというのに後片付けをきちんとこなす辺りはさすがにバルレルだ――と、言うところだろうか?
「そう。残念――それじゃぁアメルを誘って四人で行くしかないわね」
 とが言うと、バルレルの本を棚に入れる手がピタリと止まった。彼は「まてよ」と棒読みの声を上げ、ハシゴという高い位置から下に居るを見下ろした。吊り上った赤紫色の瞳がそれは大きく見開いている。私は何か彼が驚くようなことを言っただろうか?
「四人――?四人だって。お前、誰と行く気だよ?」
「バルレルと――アメルと。ハサハとマグナよ。マグナが一緒に街へ行こうって誘ってくれたの。だから私もバルレルを連れて行こうと思って」
「アイツが?お前を?」
 バルレルは目を見開いたまま、を見つめた。アーモンド形の大きな瞳が視線を捕らえ、は何だか目をそらすことが出来なかった。バルレルはしばらく考え込むように言葉を発することは無かった。彼は何に納得したのかはわからないが一度だけ頷き「そうか」と呟いた。彼のそのわけのわからない反応には首を傾げていたが「忙しいからさっさと出てけよ」というバルレルの言葉に素直に従うことにした。
「おい」
 最後にバルレルに声を掛けられ、は後ろを振り返った。翼の生えた背中を見せながらバルレルはぶっきらぼうな声をに投げかけた。

「あの女は連れて行くんだぞ。絶対に」
「あの女?」
「レルムの村のぼけっとした女だよ」
 アメルの事だろうか?何か言い返そうとは口を開いたが――埃まみれの部屋にぽつんとあるバルレルの物寂しい背中を見て、結局おとなしく閉じてしまった。錆付いたドアノブを再び握る。もうゾッと来る寒気はしない。軋むドアを閉めるとき、は微かにその隙間からバルレルを見た。頭の上に被った埃を、彼は不機嫌そうに取り払って――また一冊本を棚に詰めていた。

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