24:Awaking


「――
 自分の名前が何度も呼ばれるのを感じて、はうっすらと瞼を開けた。きらきらとした木漏れ日の光が部屋にお構いなしに入り込んでいて、その眩しさにだんだんと意識が戻るのを感じる。頭が水を沢山含んだスポンジのように重い。あまり眠った気がしない。
 そうか、夢を見ていたからか。あれは――あれは、夢だったのか?ぼうっとした視界で、ふと――先ほどの事を思い出す――あれは、私の出会ったあの人はイオスだった。

 控えめな声が聞こえ、は開ききってない瞳をそちらへと向ける。ベットの淵に、ネスティが立っていた。彼の不健康に見えるほどの白い肌が、今日は日の光に当たっていてなんだかとても綺麗に見える――は思いながらも上半身をゆっくりとベットの上に起こした。彼は、起き上がったを見て、納得したかのように――いや、もしかしたら――やっと起きたのか、とでも思ったのかもしれない。浅い溜息を吐いて、再び彼女の名前を呼んだ。
「朝からすまない。今日は僕は出かける用事があるから――その、君に頼みがある」
「うん?――うん」
 目を軽くこすり。はネスティを見た。濃紺の瞳は何故か、戸惑ったようにの姿を映している。
「僕が居ない間、なるべくでいい。マグナを見ていてくれ」
「マグナを?」
「アイツは無茶をしかねない。僕が居ない間にまた一騒動を起こしそうだ。君は――君はもう彼とも慣れ親しんでいるようだし。君がよければでいいんだが……」
 そう言って頭を項垂れ、ネスティが溜息を再び吐きつけた。彼の言葉にはクスクスと喉を鳴らし、何度も小さく頷いた。
「心配症なんだね?――大丈夫。これといった用事は無かったから。無茶しない程度に見ておいてあげる」
 心配性と、問いかけるの言葉にネスティは耳元を少し赤らめた顔で――コホンと、一つ咳払いをした。兄弟子であるから、弟分であるマグナを心配するのは当然なことなのに――本人に隠れて、こうしてに頼むようにコソコソ心配をしている辺り――何だか変わっている人だ。まだ付き合って日の浅い仲だが、にはネスティの人物像というのが見えてきていた。


 ネスティが部屋を去り、は再びベットに身を転がした。そうして、ゆっくりと瞼を閉じてみる。頭の中をぐるぐると目まぐるしくも回っているのは、あの槍使いのイオスの姿だった。
「君は、――君はとにかく、落ち着くんだ」
驚いた。昼間見たのと一つも変わらない、極端な顔に――宝石をはめ込んだような赤紫の瞳。夜の闇に覆われていても、昼間のそれと同じように彼の髪はキラキラと光を放っていたように見えた。夢なのに、どうしてこんなにもはっきりと彼の姿――会話を思い出せるのだろう。は、瞼を閉じたままにネスティがそうするように眉間に深く皺を寄せた。
「あれは……夢?」
「うるさい――」
 心臓が口から飛び出るような驚きだった。は慌てて瞳を開き、腕をベットに突き、素早く上体をベットからたたき起こした。そして、その瞬間。自分は何も悪いことなどしていないのだとわかっているのに、「ごめんなさい!」と意味も無く叫んでしまっていた。
 おそるおそる見たその先には、やはり自分の呼んだ召喚獣であるバルレルが居る。
 彼は昨日のお酒のせいだろうか――何かとてつもなく重い鈍器で殴られた痛みに耐えるかのように頭に手を添えて項垂れている。いつもの食いかかってくるような生意気な様子などそこには一切無くは首を傾げた。
「バルレル?」
 顔を上げない彼が――バルレルの掌に遮られている見えない表情が何だか恐ろしく思えて、は小さく問いかけた。掠れた呼び声にバルレルの耳がピクリと上を向く。はそれを不思議そうに見ていた。やがて、彼の頭から掌がストンとベットのシーツへと落ちていった。何だか気だるそうに顔を上げていて、それはどうみても疲れきっているような表情としか言えないものだった。
「――叫ぶな。頭に響くんだよ」
「ご、ごめん!」
「――あー!もう――判ってないだろう。お前。声を静めろ。いいかげんに」
 顔を上げ、バルレルがぎんっと鋭い目線を向けたので。ははっと息を呑み、掌を口元に当てて声を抑えようと勤めた。バルレルはそんなを見て、新しい頭痛の種が見つかったかのように渋い顔をして舌打ちをした。
「さっき。誰か居たのか?」
「え?あぁ――ネスティが来たの」
 声を抑えようと、喉に力を込めては言った。バルレルはそんなの様子に気づいたのか、ベットから足を下ろし「もういい」と、静かに口に出した。は口元に当てていた手をすっと下ろした。そして、バルレルはベットから降りて――今だ隣のベットの上でのんびりと寛いでいるへと視線を投げかけた。
「メガネが?何でだよ」
 訳がわからない。と、バルレルは顔を奇妙に歪めた。彼が具合が悪いというのは本当だろう。肌が普段よりも青白く、血色がないのが伺えた。許可をもらったはいいが――これではさすがに大きな声を出すのは可哀想だ――血色の悪いバルレルを気遣いは囁くような小さな声で返事を返した。
「マグナをお願いしますって」
「マグナ――?あぁ、あいつか。メガネも誰かさんに似て世話焼きなもんだ」
 はっと、息を噴出すようにバルレルは嘲笑ともとれる笑いとも取れぬような息を漏らした。バルレルの言葉にが――誰かさんとは誰だろう?――と、思考しているのを見て笑ったらしい――否、単純に呆れて溜息を吐いたのだろうか?
「誰かって?」
「さぁ――誰だろうな」
 何だか彼の意味深な笑い方がは気になったのだが、その時ちょうど下の階からバルレルとを朝食へと呼ぶアメルの声が聞こえたのではそれ以上問いかけることもなく、バルレルを引き連れて下の階へと降りることにした。

 階段を居り、大きなランチテーブルの在る居間へと足を踏み入れると、そこにはちょうど朝食を机に並べ終えたばかりなのか――空のお盆を持ったアメルが居て、降りてきたとバルレルに気が付くとにこりと笑みを作った。
「おはようございます。さんも――バルレル君も」
「おはよう、アメル」
 も、にこりと彼女に笑みを返した。横に居る召喚獣がむすっとした顔具合で無言なのは、召喚主として叱ってやるべきなのか一瞬悩んだが――先ほどの具合の悪い様子を思い出して、今日は止めておこうとは口を噤んだ。
 全員ではないが、よりも早くに席に着いている者もいた。この屋敷に来てから朝の食事というものは生活リズムの違いからか、皆で一緒に食べるということはそう滅多に無い事だった。昼食は屋敷で取る者も居れば、外で取る者もいる。どちらかといえば全員夜型なので、晩餐に皆でわいわいと楽しむことが多いのが現状だった。
「おはよう」
 椅子に手を掛けながらそう言うと、「おはよう」という返事がまだらにもの元へと帰ってきた。は椅子を引き、その上に腰を下ろした。向かいの席ではそれほどの重さでも体格でもあるまいに、どっしりとした風格でバルレルが席に着いた。
「多すぎましたかね」
 何だか照れたような、甘い声が聞こえはふっと隣に目をやった。そこには――いつの間に座っていたのだろう?――うきうきとした様子のアメルが居て、は彼女のそんな笑顔を不思議そうに見ていたが、テーブルの上にある朝食を見て「あ」と静かに声を漏らす。たしかに、そこには今まで何度か彼女が用意してくれたものとは違う、まるで昨日の晩餐を思い出させるほどに豪勢な食べ物が並んでいた。目を丸くしてはその食べ物をしげしげと眺め――そしてアメルに視線を戻した。
「凄いわ」
 のその様子に、アメルは再び軽く微笑み返す。テーブルに並ぶ食事に再び目を戻す。小さな湯気がいくつもそこには昇っている。暖かそうなスープ――香ばしいパンの焼けた香り――野菜に添えられたおいしそうな焼き物――どれもが暖かくて、美味しそうで、鼻腔を心地よくくすぐるようなものだった――レルムの村ででも食べたことの無い物があったのでは興味津々にそれらを見ていたが、やがてある事に気づき小さく声を上げて笑った。
「懐かしいと思ったら――じゃがいもの香りがする」
「えぇ――そう、冷蔵庫に沢山あったので入れてみたんです。懐かしいですか?」
 アメルの言葉には首を一つ頷かせる。そう、なんだか懐かしい。ほんのちょっと昔、レルムの村に居た頃にもアメルは村の畑で取れたその野菜を――どうしてそこまでするのだろうか?と問いたくなるほどに、混ぜ込んでいた。不思議なことにそれらは全て美味しく、ロッカもリューグもアグラも――でさえ何の疑問も抱かないようになっていた。村を飛び出してから口にもしなかった料理――その料理がこうして今、再びの前に現れたのだ。きっと、ロッカとリューグもそう思うだろう。
 「懐かしいね」「おいしいね」と、二人に問うてみたかったが、残念なことにこの場にその二人は居なかった。
 はきょろきょろと視線をまわした挙句、目の前に居るバルレルに視線を定め「おいしいわね」と笑みを作った。バルレルは一瞬何を言ってるのだろか?とも言いたげに怪訝そうな顔で彼女を見返したが、数秒たって「まぁ――食えるほうだ」と低い声を返してくれた。
「嬉しい。でも、ちょっと張り切りすぎちゃいましたね――多すぎたみたい」
「問題ないなーい。こんだけ旨いものなら俺は幾らでも胃袋におさめられるぜ!」
 もごもごと世話しない様子でフォルテが伏せ気味になったアメルに、元気付けるようにそう言った。アメルは「ありがとうございます」と、礼を述べたが――食べ物を吹き散らして喋っているフォルテを見てか、ケイナが肘でコツンと彼の胸板を突いた。
「フォルテ――食べるか、喋るかのどちらかにしなさい」
 クスクスと、夫婦のように言い合いを続ける二人に周りから声が漏れた。
「お口に合います?」
「うん。おいしい――とっても」
 がそう言うと、アメルは「そうですか」と呟いた。そうして、次の瞬間には小さな声で「さん」と彼女の名前を呼んでいた。「何?」と、呼びかけに答えようとはスープの飲用につかっていたスプーンをかちゃりとお皿の上に置いた。横に座っているアメルの顔にはやはり彼女のいつも見せる小さな微笑が浮かんでいる。そして、その笑みは何だかいつもよりも晴れ渡ったかのように満足感のある顔のようにには見えた。
「皆さん。皆――とてもいい人達ですね」
「うん」
 素直に同じことを思ったからは頷いた。アメルはそんな彼女の反応にまた幸せそうに笑うのだった。朝食を取るこの部屋はひどく日当たりの良い場所でもあった、大きな窓ガラスから差し込む日の光にアメルの細められた――茶色い瞳が、一つの硝子細工のように綺麗に反射していて――初めてレルムの村でアメルに会った時を思い出し、は人知れずどきりという心臓の鼓動を感じた。

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