23:Let's meet under the moon


 重苦しくなるのでは、というの心配をよそに――むしろ正反対と言えるほどに、その日の晩餐は賑やかなものとなった。アメルはふるって豪勢な料理を作り、それに添える食べ物をを含めた女性人が細々と並べるようにした。心持、人数に対して食が少ないような気はしたが――何よりも、楽しいという気持ちが思い浮かべられるその時間が幸せだった。
 他愛の無い会話を皆と投げあった。ロッカは笑い――アメルは微笑んでくれた。リューグも時折口角を持ち上げており――それはまるで昼間の喧嘩騒動など三人ともが忘れているのではないかと思わせるほどで、それがまた嬉しかった。
「うおっ――マジかよ!」
 数日前にメイメイの店で買い物をした時の紙袋を開いて、バルレルは目を見開いた。そうしてそのままに視線を上げ、キラキラと子供のように輝いた瞳を見せた。彼の手には一本のお酒のボトルが握られている。高い物ではないが、味はメイメイさんが保障してくれたのでそう悪くは無いだろう。バルレルにそう言うと、彼は赤い顔で「そうか」と顔を伏せた。何だか皮肉なその態度が可愛らしくて、は声を上げて笑った。
 ミモザが杯を上げ、乾杯の音頭を打ったその時――元の世界では感じ得なかった――何か大きな繋がりを、この仲間達に感じた。学校で、振るって話題を振り返るようなあの時とはまるで違う――強くて、それでいて穏やかな温もりのようだ。グラスに口付けした時、何だかそう頭の中で言葉にしている自分が居た。

「楽しかった」
 ほんのりと、赤くなった頬ではベットにごろんと寝転んだ。ふと、隣のベッドを見てみると、早々にボトルを飲み干していたバルレルが大きな騒音を出しながら体を大の字にして横たわっていた。はよいしょとベットから降り、そのバルレルにふわりと布団をかけてやる。目を細めて見てみると、自然と口角が上がるのを感じた。何だか、弟を持った気持ちだ。そう思っている自分もまた可笑しかった。
「おやすみなさい」
 そう言って、はパチンっと部屋の電気を消す。暗闇を探るようにベットにたどり着き――布団を掻き集め自分の上にかぶせた。上気した頬で、ごろんと寝転がると温度のないそのシーツが心地よく感じた。闇夜に目を開いていると、窓の隙間からうっすらと月明かりが差し込む。ずっと思っていたことだが、この世界――リィンバウムの月はとても大きく感じる。そういえば、その訳をマナに聞いてみたとき彼は――それは月が私たちを見守るためだよ――って子供に御伽噺を話すみたいに教えてくれたっけ。

「タナ」
 ボソリと暗闇の中で呟いてみる。私は貴方を忘れていないと――必ず会いに行きます。と。
 そう思うと少しずつ瞼が重くなってきた、宴会の名残もあってかとてもいい気分だ――もしかしたら今日はいい――今日はタナの夢を見れるかもしれない。ぼんやりとした期待を思いながら、はそうして瞳を閉じた。


 目を覚ましてみれば、そこはただただ壮大な夜空だった。

 煌きを放つその星をは呆然と見ていたが。しだいに意識が覚醒してきて、突如はっとしたように目を見開いた。
「ここは――何処?」
 見開いた、の黒い瞳には大きく広がる星空が写っている。足元を見てみると、石のような地面があるが――まるで切り落とされたかのように数メートル手前でその道は途切れており、失った景色の代わりを埋めるように夜空があった。何処――こんな場所を自分は知らない。
 ここは一体どこなのだ?もしかして――私はまた、飛ばされたのだろうか?――否、でも今度はあの白い本を見ても居ない――でも、ここは?――そんな、嘘でしょう?――どうしてまた、知らない場所に居るの?――アメルは?マグナは?――バルレル――ロッカに、リューグは?
「また――飛ばされた?」
 さあっと、血の気が引くのを感じた。もしかして自分はまた予期しない違う世界――違わなくとも知らない土地へと飛ばされたのだろうか?――どうして?嫌よ――私は彼等と戦うと誓ったのに――それなのに
 夢?――違う、頬を切る風のリアルな感触は紛れも無い現実だ。だけど、ここは。

「――おい」
ひゃぁ!

 予期しなかった声音に――は色気のない奇声をあげた。慌てて後ろを振り返って、さらに彼女は唖然としたように目を見開いた。

「――変な声を上げるな」
 どうして、この男が?の頭の中で、昼間の戦闘での光景がよみがえる。
「僕は"逃げれ"と忠告したはずだが――」
 金色の髪の毛に――白い肌。吊り上った冷たい紫色の目。目の前の人物の登場が信じられず、はゴクリと唾を飲み込んだ。
 どうして、イオスがここに居るのだ――?
 だがよく見てみれば、彼はこちらに危害を加えるつもりは無いらしい――というより、何も武器のようなものをもっていないようだった。だけどもイオスは昼間確かに達と剣を交えた敵対する相手だ。友好的に握手を交えるような仲でなんかあるはずもない。
 は怪訝そうに眉を寄せ、目の前で無表情にこちらをみているイオスの様子を伺った。
「やっぱり――昼間の女か」
「そうよ。悪かったわね」
 上から物を言うようなイオスの態度が気に食わず、はつんけんとした態度で答えた。それはどこか知らない世界に飛ばされたのだろうか?と、泣きそうなほどに混乱していた先ほどの自分をすっかり忘れている様子だった。

「聞きたいんだけど――ここは何処?」
「それを今聞こうと思って声をかけたんだが――」
 そう言ってしばらく沈黙が広がった。の問いかけに、男も怪訝そうに眉を寄せる。その瞬間再び昼間の光景がの頭の中に繰り返された。
「僕は"逃げれ"と忠告したはずだが――」
「どうして、君がここに居るんだ」
「知らない。ベットで気持ちよく眠れたと思ってたのに――気が付いたらここいいたのよ。それじゃぁ、私も聞くけど。貴方はどうしてここに居るのよ?」
「――目が覚めたらここに居た」
 イオスの言葉にはフムと、相槌を打つ。
「二人とも眠っていたはずなのよね――それじゃぁ、ここは夢の中なのかしら?」
 あまりに憎たらしい昼間の敵が、思わず夢の登場人物になってしまったのかもしれない。
「それはないだろう」
 イオスに即答され、は再び眉を寄せた。
「地面も、皮膚に当たる風も――夢だとは思えない。それに、君と――夢に出た人間とどうしてこんなにリアルな会話ができる?普通に考えてみろ。そんな事ありえないんだ」
 は顔が妙に、赤くなるのを感じた。恥ずかしい、とか――そういった感情ではない。何だか、イライラしてたまらないのだ。からしてみれば、親切なイオスの答えも自分を小馬鹿にしている言葉に聞こえてならなかった。
「ともかく――ここは君と僕の元居た場所ではないみたいだ」
 イオスの言葉に、は伏せ気味だった顔をはっと上げた。
 先ほど一人で考えていた予想が頭の中を再び回り始めた。――私はまた、飛ばされたのだろうか?――――そんな、嘘でしょう?――どうしてまた、知らない場所に居るの?――アメルは?マグナは?――バルレル――ロッカに、リューグは?
「――別の世界?」
 自分で呟いて――いてもたってもいられない。とでも言うのだろうか、は目の前の男から逃げるように駆け出した。駆け出したその先に、もしかしたら自分の知っている景色が広がっているのかもしれない――と、ありもしない期待を持って。
「な――おい!待て!
 を制するように、イオスが叫んだ。そして、数秒もしない内に彼はの腕を掴んで動きを制した。
「さっきこの辺りを手当たりしだいに回った――信じられないかもしれないが、ここは空に浮いていた!この場所は先に行こうとしても、崖から落ちるだけだ」
「だから何!放してよ!」
 躍起になったようには叫んだが、思うことがあったらしくくるりと後ろを振り返る。
「――空?浮いている?」
 の視線に紫色のイオスの細い目が気ぜわしく揺らいだ。そうして、彼は言葉を発することもなくの言葉に小さく頷いた。
「どういうこと?」
「わからない、と言っただろう」
 イオスはそう言って、の腕をすっと開放する。大人しくなった彼女に安心しきっていたのかもしれないが――は腕を放されるとイオスの呼び声を背中に、すぐさまに駆け出した。

「――嘘」
 生温い風が頬に当たっている。は目を見開いて、その光景を見ていた。
「嘘――嘘、よ」
 どこまでも広がる――煌く星が浮いている夜の空――その中でまるで小さな島を切り離したように浮いているのは――今まさにが足を置いている地面だった。例えるならば、そう。崩れた星の欠片が宇宙でばらばらに浮いていて――その一つに立っているようだった。
「わかったか?」
 後ろから、ざっと砂を切るような足音がなる。振り返らなくともわかる。イオスが自分を追って来たのだ。
「でも、どうして?――こんな事」
「そう。あるはずがないんだ。だから僕も今、困惑している」
「困惑して、いる?」
 かすれた声で言い、は後ろを振り返った。振り返った彼女を見て、イオスはぎょっとしたように目を見開いた。彼女の目には驚いたことに大粒の涙が蓄えられていた。
「あなたは、そんなに冷静にして――何処が困惑しているっていうの。これが――ここが違う世界なら――どういうことかわかってるの?
「――」
 彼女の言葉に繋がるように言葉を捜そうとするが、イオスは頭の中に大きな空白が出来ているのを感じていた。彼女は泣いていると――否、性格には泣ききれていないのだが――そう、わかった瞬間。何だか"罪悪感"に似たような後味の悪い気持ちを感じた自分がいた。
「私は絶対に嫌よ――もうあの世界から逃げ出したりなんかしない!」
「君は、――君はとにかく、落ち着くんだ」
 「まだ、そうと決まった訳じゃないだろう」と、イオスは戸惑いながらも慰めるようにに言った。その言葉には涙を流す間もなく、ぐいっと服の袖で目を掠めてみせる。赤くなった目が何だか痛々しい光景だった。イオスはごくりと息を呑む。
「嫌だ。絶対――もう、嫌」
 最後の声は、ガラガラで――掠れていて、酷く不細工な声だった。どうして、自分は敵であるこの男の前でこんなにぐちゃぐちゃになるまで粘っているのだろうか。そう思う反面――他人のイオスだからこそ見せられる顔なのだとも思う。ロッカやギブソンはともかくも――フォルテの前でこんな顔をしてみたら、それこそ指を指されて笑われるに違いない。
 喉が酷く熱を持ったように熱かった。泣きかけた瞳が酷く重たい――は赤い目を見られまい、とふっと静かに顔を伏せた。
 生温い風が再び頬をかすって通り抜けていった。どうしてこの男は自分を置いて動こうとしないのだろう――私はまったく関係のない――ましてや敵と言える存在なのに――どうして?伏せた視界に入るイオスの足元を見て、は重たくなった瞼をそっと閉じてそう思った。

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