22:双子の決断


「胸糞悪い」

 思わず、呟いて――リューグは舌打ちするような音を口から出した。
 ついさっき、自分達の行くべき道が決まった。奴等を今すぐに殺したいと言う自分の意見とは食い違うと言える(少なくとも俺は思う)ほどに、結果は穏やかなもの――"逃亡"するということになった。だけども、追ってくる敵や避けられない戦いは全力を持って迎え撃つ――リューグが賛成できたのはその点だけで、他は妙に生温い事なので疑問を思わざるをえなかった。
「最悪だ」
 何が最悪なのだろう?と、自分でも思う。
 喧嘩して出来た"逃亡"という話合いの結果?あの時、「やめれよ!」というマグナの言葉を聞こうとしなかったこと?一瞬でも、兄貴を殴ろうと思ったこと?世話しない兄弟喧嘩で、アメルを泣かせたこと?に――
「あぁ――くそっ」
 吐き捨てるように言って、ガシリっと頭を描いた。ズカズカと乱暴な振りの彼の足は着実に庭先へと向かっていた。

 白い服を着て丸くなった背中を見て、リューグは眉を寄せた。
 庭の石段に、うずくまる様に伏せきったそれはあまりにも小さくて――いつもの横柄な彼女のものとは思えなかった。
 ザッ――と、わざとらしく足音を鳴らしてみるとびくりとその背中が震えた。けれども彼女は顔を上げようともせず、自分の膝に顔を埋めたまま。それにリューグは密かな苛立ちを感じ、ますます眉間の皺を深くした。
「おい」
 予想通り。声をかけても返事の一つもない。リューグはそれに対しては、何の感情も起きず――代わりに彼女の隣にどかっと腰を下ろした。
「おい」
 彼女の頭は蹲ったまま。一瞬、なんだか否な予感がしてリューグは血の気が引くのを感じた。
「泣いてんのか?」
 その言葉にばっと勢いよく彼女の頭が上に上がる、これでもかというほど彼女は目を吊り上げて自分を睨んでいて。思わずリューグは体を後ろに引きそうになったが、それとは別のどこかで――涙を流した様子がからっきしも無い彼女にほっと安堵している自分がいた。
「何をしに来たの?」
 問いかけながらも、彼女はふいっと顔を背けた。

 子供みたいだ。馬鹿みたいに意地を張っている――ガキは苦手何だがな――そう思いながらもリューグは彼女の名前を呼んでみる。
「もう、話合いは終わったんでしょ」
「悪かったよ」
 その一言が思いもしない言葉だったのか、顔を背けていた彼女は信じられない物を見る目で自分の方を振り返った。三年間ずっと見ていたはずのその目を真正面からみて、底の知れない深い黒色なのだとリューグは初めて気付いた。
「何をしに来たの?」
 驚いたままの顔でが問いかえしてきた。リューグはまた、罰が悪そうに頭をかいて彼女の目から視線を外して地面を見た。
「悪かった、って言ってるんだ。さっき怒鳴ったことは本心じゃねぇよ――わかったか?」
 そのリューグの言葉に、は瞬きするように目をぱちくりとさせた。
 謝っている?あの、リューグが?私に?
 だけども、――わかったか?と、尋ねられたことに対してはは素直に頷けなかった。いつもの彼のように、今度はが眉間に皺寄せした。
「私は、」

「私が、どうしてここに居るのかわからない」
 すっと地面に向けられたいたリューグの視線がこちらを向く。目を合わせるのに何だか戸惑いを感じ――状況を取り替えたように今度はが地面と顔をあわせた。
「三年前から、ずっと思ってるの。ハサハや――それこそ有能な召喚獣達は戦ったり。守ったり。召喚してくれた主の傍に居るためこの世界にやってきたのに。私を呼んだ人は姿も見せずに消えて――もしかしたらその時、死んでたかもしれないのに――皆の優しさに付け入るみたいにこうして今も生きている。だけど、何も出来ていない――リューグの言ったことは正しいんだよ。間違ってなんて居ない。私はよそ者なのに……りィンバウムの人間でもないのに。どうして、まだ――アメルや、アグラさん。ロッカに、リューグにまで迷惑をかけて――今回だって言われもしないのに付いていって――そう――引きずるようにして生きているのか、考えれば考えるほどわからなくなって――痛いっ
 は頭を抱えて、隣にきっと鋭い視線を向けた。こんなにもずきずきと痛みを感じているのは隣に居るリューグがいきなり自分に拳を振り下ろしたからだ。
「何すんの!酷いじゃない」
「バーカ」
「……な」
 頭を抱えているの掌の上に、リューグは自分の掌を乗せてみた。下に重なったの手はとても小さく、分厚い手袋をはめた自分の手のしたからはほんの少ししか垣間見えない。
「考えすぎなんだよ、おまえ」
「……でも、」
「でも、もクソもねぇ」
 「クソとは言ってない」と、渋い顔をしていうにリューグは「うるせぇ」と一言返した。
「いいか。キツイこと言うけど泣くんじゃねぇぞ」
「泣かないわよ!」
 先ほどの萎れた様子を微塵も感じさせないほどの声色で、はリューグに言った。それをリューグは了承と受け取る。
「俺が今日言ったことは、まったくの嘘じゃない。あんたが邪魔だと何度も思ったことはあるし、何度も出て行けって思ったりもした。だけど、それは誰も、皆、思うことだろうが。俺はあんたに対して思った以上に馬鹿兄貴に家を出てけばいいと、思った。あいつもきっと、俺ほどじゃなくともそう思ったはずだ――人間皆、綺麗じゃねぇんだよ。嫌いだ、好きだ。なんて、直ぐに変わる。今日好きでも明日は嫌いかもしれねぇし、その逆もだ。感情なんてその時、その時なんだから。俺が言ったことでそんなに暗く考えても――時間の無駄だと思うけどな」
 そう言ってリューグはの頭から手を払った。一気にまくしたてられて、はしばらく無表情のままに彼の顔を見ていた。だけども言葉の意味を少しずつ消化していくと、彼は自分を励ましてくれてるのだと、素直にそう思った。
「ありがとう」
「何がだよ」
 少し顔を赤らめ顔を反らす彼らしいその反応が面白くて、は思わずクスクス笑みを零してしまう。なんだか、先ほどまであんなに暗く考えていた自分が嘘みたいだった。
『信じる勇気を持ちたい』
 それは、この世界に来るとき――暗闇から聞こえた言葉だった。
 そうだ。その通りなんだ。
 信じてくれない人間をどうして人は信じようとする?否、そんな人間信じようと思わないはずだ。私から、彼等を信じないと――何も変わることは無いんだ。
「おい」
 声を掛けられ、隣を見る。リューグがごそごそとポケットから何かを取り出している。
「手、出せ」
「はい?」
「早くしろよ」
 言われて、はわけも判らないままに彼に近い方の左手を差し出す。彼はその腕を乱暴にぐいっと引き――薬指に――すぽっと何かをはめた。逆光に見えるよう手を仰ぐ、二番目の――人差し指にメイメイさんから貰ったものと綺麗に並ぶ。それは石も無いシンプルな銀のラインの指輪だった。
「指輪?何で?」
「それは失くしたくないんだよ。俺には小さいし――これから無くしても困るから、この戦いが終わるまでの間はお前が持ってろ。お前なら、指を千切られない限り無くさねぇだろうからな」
「失礼ね…」
 だが、それよりもは気になることがあった。どうして彼はこの指に、その指輪をはめたのか?左手の――薬指に?
「どうして、この指なの?意味をわかってるの?」
「は?」
 うっすらと顔を赤くして問いかけるにリューグは眉を寄せる。
「意味?何だよ、そりゃ。一番サイズが合いそうな指だからに決まってるじゃねぇか――嫌なら。返せ――それはアメルに」
「そ、そう。そうよね――ううん、大丈夫よ。失くさないから」
 あはは、と引きつった笑い声を上げは彼から顔を反らした。そうだ。リィンバウムは私の居た世界とはまったく違う世界。環境も文化も歴史も違う。左手の薬指の指輪がこういった意味合いを持つことは無いのかもしれない。
「帰るぞ」
 リューグはそう言って、腰を上げ後ろに居るなどお構いなしにずかずかと足早に屋敷まで歩みを進めていく。やっぱりこの指輪には深い意味はないようだ。
 その背中に駆け足気味で駆け寄りながら、は左手を青い空に掲げてみた。メイメイからもらった指輪の赤い石が小さく逆光して、その隣に陰になるようにリューグの指輪のラインがある。口元に小さな笑みを浮かべながらは歩調を速めた。

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