12:It disappears with moonlight


 そういえば、初めての野宿だな。と、は布団を手探りながら思った。眠気に小さく目を擦ってみると、気のせいか目の前にマグナの顔が見える。いや、気のせいでない――本物のマグナだ!
「出発だよ」
「へ?」
 呆けた声を出すを見て、マグナは心底申し訳なさそうに顔をしかめた。彼が言葉を躊躇っているのがわかりどうしたのかとは思ったが――その後ろから企んでいた様にフォルテがにょきっと顔を出してきたので、思わずは悲鳴をあげそうになり、おかげで眠気がすっかり覚めてしまった。
「ここへの滞在は少しの休憩がてらみたいなもんだ。連中は訓練された用兵のようだし…へたすりゃ数十分で追いつかれる。つまりはここでグースカ寝てる場合じゃない――まぁ、数分の休息は必要だと思って俺達は少し寝てたんだが。お前さんその様子じゃ寝てないな?」
「……」
 フォルテの答えを聴いた瞬間、溜まりに溜まっていた疲労が押し寄せてきたかのようには顔を項垂れた。そんな彼女を見て、フォルテを頭に乗せたマグナが焦ったように言葉を切り返す。
「これから俺と、ネスティの派閥の先輩達の家に行こうと思うんだ。には悪いけど敵も馬鹿じゃないんだし早く村から離れないと――それに先輩の家まではあまり距離は無いんだ。ここから村へ帰るよりも多分近い――着いてすぐに寝て明日に備えることも出来るはずだよ。だから、ねぇ。元気を出して」
「そう、ね――ありがとう。マグナ」
 元気付けてくれるマグナに礼をこめてそう返すと、彼は少しはほっとしたのか安堵したような表情を浮かべた。紫色の瞳が細められて、笑うそのしぐさはまるで、小さな子供をあやしているかのような気持ちにさせる。それに少し疲れがほぐれている自分が居るのがなんだかは不思議だった。
「大丈夫さ。
 元気付けようとしているのかは謎だが、にやりと口角を挙げフォルテは顔を乗せていたマグナの頭からすっと立ち退き、彼の肩をがしりと自分の肩に組み合わせた。
「疲労でお前さんが倒れたら。この少年が喜んで担いでくれるからな!」
「フォッ…フォルテ!!」
 フォルテの言葉にマグナは顔を赤らめて抗議する、単純なのにその様がとても面白く感じられては思わず顔を綻ばせて笑うのだった。

 あまり距離は無い、というマグナの言葉は事実だった。街道に沿って三十分ほどまっすぐに進んだだけでネスティが先頭に立ち、後ろを振り向きざまに皆に言った。
「もうすぐだ。急ごう」
 ネスティの後ろに居たもふっと後ろを振り返ってみた。一番後ろに居るアメルが彼女の瞳に即座に入ってきた。
 もしかして、彼女はこのまま歩けなくなって皆に置いて行かれるのではないだろうか?
 そうありもしない不安がうかんできた。ありもしない――だけど、押し寄せる不安を少しでも減らそうとは歩調を緩め、彼女の隣にまでに行った。
「アメル」
…さん」
 声を掛けられて初めて存在に気付いたかのようにアメルはに顔を向けた。皆にも言えることだが、彼女は至る所に真新しい擦り傷ができており、いつもは清楚な服も泥と土で色を変えていた。向けられた顔もどこか疲れた風で、歩くのが精一杯といった感じだ。
「大丈夫?疲れてない?」
「疲れているのは皆さん同じですから、さんこそさっきネスティさんと話し込んでて眠ってなかったでしょう?」
 その言葉にはぴくりと反応する。自分はネスティと話して眠っていないなど一言も話していないのに、アメルはそう言ったのだ。がそれに気付いたのに気付いてか、アメルはどこか辛そうな笑顔を作り「ごめんなさい」と謝罪した。
「私も眠れなかったんです。それで、話し声が聞こえたものだから」
「そっか」
 アメルの言葉には短くそう返し、それ以上を望まなかった。

 街道はどうやら"高級住宅街"ともとれるような土地に進んでいるのだろう――あきらかに道に入ったときの塗装とは代わっていた。
 旅人全員が疲労の最中、息を潜めるように歩いているが大人数の足音は消えるわけも無く、夜の住宅街に不気味にコツコツと響き渡っている。
さん」
 アメルがそう呼びかけ、少し前方を歩いていたは首を傾げるようにしてそちらを見た。だが、彼女は息をするのを忘れたように血色のない表情をしており、戸惑った目でを見つめ返した。
「ごめんなさい…何でもありません」
「…うん」
 何か言いたいことがあるかのように見えたが、それでも彼女が話す気が無いのなら今はそれでいいだろう。とも、静かにその言葉を了承した。

「あそこだ」
 気付かぬうちに、だいぶ道は進んでいたらしくいつのまにか目的地に着いていた。ネスティの視線の先に、旅人達も、も視線を向ける。高く伸びた白い壁が印象的な大きな家がそこには建っていた。
 始めて見る大きさの建物に、思わずや仲間達も息を呑むように呼吸を止めた。
 代表にと、ネスティが玄関へ向かいそこにある引き手を持ち上げた。少し遠慮気味に二、三度ドアを叩く。暫くの沈黙が続いたが、数分とたたぬ内に建物の中からドタバタと忙しないような足音が聞こえてきた。
「はいはーい、こんな夜中に何の…用かしら?」
 真夜中に尋ねたにしては、はつらつとした声が聞こえドアが軋む音をあげ開いた。
 屋敷の中から出てきたのは肩まで掛かる程度の茶色い髪の女性だった。女性は起きたばかりなのか、ぼんやりとした目線で皆をぐるっと見回す。そんな彼女の様子を見るように、ネスティ――そして後ろにいた皆が息を潜めて動向を見守った。女性は目を何度かかすった後にポケットから眼鏡を取り出し、掛け直した。
夢かしら?
「夢じゃありません」
 女性の拍子抜けするような台詞にネスティがガクリと肩を下ろして項垂れた。そんな彼に代わってか、ネスティの後ろに居たマグナが事情を説明するように一歩前進する。
「先輩。俺達、頼みがあってきたんです!今日だけでも――」
「はいはい、わかったから。さっさと入りなさい
「――うわあっ!?」
 マグナの言葉を押し留めるようにその女性はそう言って、彼の背を押して玄関へと引き込んだ。そして腕を組んで見下ろすように旅人達の顔を伺う。
「貴方達もよ。早く入りなさい」
 言い返す気もするわけがなく、全員はその家の玄関へと飛び込んだ。

「非常事態なんです…」
「そうね、言わなくてもそれ位はわかるわね」
 ネスティの言葉につんけんとした態度で眼鏡の女性は答えた。そしてグルリと再び旅人たちの顔ぶれを見るように視線をまわす。
「ドロドロのベタベタね。みっともないったらありゃしない」
「先輩ごめんなさい。玄関までよごして――」
 マグナが絨毯に残った自分の靴跡を見て、申し訳なさそうに眉を寄せそう言った。そんな彼を見て、女性は「はー」と短くため息を吐きそしてこめかみを押さえて顔を項垂れた。表情の伺えないその体制で女性はすっと右の腕を上げ、玄関から遠い一つの部屋を指差した。全員の視線がそちらへ向かうが「一体何故あそこを指差しているの?」と疑問をもって再び女性へと目が戻る。
「女性陣はお風呂へ入ってらっしゃい――残りは――取り合えず、外で足だけでも洗ってきなさい」
「あ、ありがとうございます!」
 いち早く返事をしたに眼鏡の女性は顔を挙げ、にこりと綺麗に微笑んだ。緑色をした瞳が細くなって夜の照明に怪しく光るそのさまは高級な宝石を見ているような感覚に似ていた。
「いいのよ。可愛い後輩の頼みだもの」


 彼女のいった言葉通りに湯船に入るべく、はアメルやケイナ、ハサハと共に奥の部屋へと向かった。更衣室に入り、三人はまずその広さに圧倒された。暫く言葉を失って、気まずそうに三人は顔を合わせた。
「…大きいねぇ」
 ハサハは素直に物珍しげに視線を泳がせている。
 泥だらけの衣服を脱ぐことをはいち早く望んでいた。だが、ふと隣を見るとアメルがそわそわとした様子で立っていた。
「どうかしたの?」
ケイナの問いかけにアメルは気まずそうに答えた。
「あの…私、背中に……その、大きな傷があって。何だか恥ずかしくて」
「大丈夫よ」
躊躇いもせずにが言ったのに、アメルは驚いて彼女の顔を見た。
「私も、ね。戦って、遊んでばかりいたから全身傷だらけ」
そう言ってはバスタオルで覆った体でくるりと回ってみせる。たしかに、服ではあまり見えない所に少なくは無い傷跡がある。回り終わって「ほら」と、言う彼女にアメルは瞳を細めて嬉しそうな顔を見せた。
「そうですね…ありがとうございます」
「そうよ――あれ、ケイナ。私の背中、傷が付いている?」
 背中に、針で刺されるような違和感を感じが密かに顔を歪めそう訪ねる。ケイナがそこを見ると確かに背中に傷――それも血に滲んだようなものが縦に大きく二つもあった。
「えぇ。細い切り傷みたいだけど、二つもあるわ――大丈夫?痛くない?」
「きっと、森で走ったときに切ったのね。あの時は無我夢中だったから」
「あの、皆さん。本当にすみませんでした。私なんかのために――怪我まで」
 アメルのその言葉にはくにゃりと眉を顰めてみせた。
「私なんかって言っちゃ駄目よ。あなたは大事な私の友達でしょう?」
「そうよ、大事な――大切な仲間だもの」
 二人の言葉とコクコク頷く小さな狐子にアメルはきょとんとした目をして、言葉を失った。意識せずとも涙が出てきた。そしてぐしゃぐしゃに濡れたその顔で笑ってみせた。


「それにしても、だな」

 その頃、マグナ達一行は先輩に言われたとおり、庭先へと向かっていた。
 庭に出た途端に呟かれたフォルテの言葉に、彼の隣を歩いていたマグナが「ん」と顔を見合わせる。
「まさかマグナがあの村で恋に落ちるとは思わなかったな」
 ニシシといった効果音が聞こえそうなほどな笑い顔をして言うフォルテに、マグナはぼっと一瞬で頬を染めてみせた。
違う!は、そんなんじゃ……なくて」
 ゴニョゴニョと最後の言葉は消えるように萎んでいった。
 フォルテは水場に行く準備でもするように、そそくさと袖を捲くっていたが、とっさに出てきたマグナの台詞にしめたとばかりに顔を綻ばす。
「俺はだなんて一言も言ってないぜ!」
「な!?…ず、ずるいぞ!フォルテ!!」
「何がずるいんだよ。自分で墓穴を掘っておきやがったくせに」
 最後にそう言ったのは、の召喚獣であるバルレルだった。彼はつまらないものを見る目で二人を見ながら、持っていた槍に着いた血を指で擦り落としている。
「坊やの言うとおりだな」
誰が坊やだ――誰が」
「あはは、すまないな――だがよ、マグナ」
 ふっと突然フォルテはまじめな顔をして、囁くような小さな声を出した。若草色とも取れるその瞳の色が、夜にはこんなに穏やかにも見えるのかと、マグナはふと彼のそれを見て思った。
「なんにせよ、惹かれる所はあったんじゃないか?聖女にも、にも、あの双子にも――俺もあいつらはいい奴だと思ったよ」
「それは――そうだけど」
 あの人たちに好意に近い気持ちを感じたのは確かだった。言葉ではつんけんとしている双子の片方も、他人の自分から見てもアメルやを大事に扱っているのが見て取れたのだから。

「で。そこのだんまりさんは、どうしたんだ?具合でも悪いのか?」
 フォルテのその声に、マグナもバルレルもふっと彼の見据える場所に視線を動かした。月夜の庭にぼんやりと影のようにネスティが立っていた。マグナは彼の眉間の皺がいつも以上に深く刻まれているのに気付き、それは自分の行動が遅いからだと思い込み――早く足を洗ってしまおうと視線を動かし、急いで庭にある水道を探した。
「いや…大した事はない、少し考え事をしてたんだ」
 ネスティはそう言って三人の顔を順に伺った。フォルテ――マグナ――そして、バルレルの元まで行き彼はまた顔をぐにゃりと歪めた。
「あいつの事か」
 バルレルがにやりと口角を上げ、不敵な笑いを浮かべてそう言った。
「それもある。彼女も、聖女も――すべてが普通でない。彼女を襲ったあの黒い騎士達――あれは、尋常じゃない強さだ。何故、聖女を欲し、そして村を滅ぼした?」
「自問自答してもしょうがねぇよ。ネスティ。それに、その答えを知ってる奴がここに居ると思うか?」
 フォルテはそう言って、背中を向けて歩き出した――どうやら水道が見つかったらしい。

「ネス、俺今気付いたんだけど!」
 大発見したとでも言わんばかりに、マグナは目を光らせ彼の兄弟子を見た。ネスティはどうせまたくだらない事を言うに決まってると言わんばかりに顔を歪めて「何だ?」と、問い返した。
「おかしいよ。契約済みのサモナイト石ではどうしてバルレルを召喚できたんだ?」
 やはりそうだった。と、ネスティは深くため息を吐き、指で頭痛を押さえるかのようなしぐさでこめかみを押さえて目頭に力を込めた。
「ここに着く前――同じことを彼女に聞いたよ」
「え!」
 マグナは驚いて、ますます眼を大きくした。
 それに対して冷ややかな視線を送るようにネスティは目を細めた。
「理由は結局はわからない。彼女はどうやら特例のようだからな。…召喚された人間か」
「だけど、特例――召喚されても契約効果は俺達と同じなんだろう?シルターンの人間はそうなんだから。それに――あれ、何でネスが知ってるんだ?
「何をだ?」
 質問詰めしてくる兄弟子に対し、イライラした様子がネスの表情から伺えた。
が召喚されてた人だっていう事をだよ!」
 マグナは怒ったというよりは、焦っているというような様子でそう問いかけた。だけどイライラはしていてもネスティは冷静にそれに対応しようと、喉から低く囁くような声をすり出した。
「同じことを彼女に聞いた――と、今言っただろう?話の経過で彼女が言ってくれんだ。それがどうかしたのか?」
「え――あ、うん。別に」
 マグナはそう言って視線を地面に落とした。泥だらけの足元が酷く惨めに移る。
 彼女がこの世界に来た経過を知っているのはもしかして自分だけではないかと思っていたので、マグナはネスティも知っているという事実に少し驚き――同時に悔しいような気持ちに駈られてしまった。話をそらそうと、言葉を区切ったが頬が微妙に熱をおび赤く染まったマグナを見てネスティは不思議そうに首を傾げた。

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