11:It disappears with moonlight


 闇が広がる中、はパチパチ小さく燃える薪を見つめていた。
 まるで祭りの後の夜のようだ。数分、数時間前に起こった出来事すべてがまるで夢の中の出来事のように感じられる。あんなにも残虐な行為を見た直後だというのに、まるでブラウン管を通した映像を見た後ように、その事実を薄らとしか感じ取ることが出来ないのだ。
「ねぇ――」
「ぁんだよ」
 がぼそりと囁くように呼びかけると、隣にいた悪魔は機嫌が悪そうに返事を返した。
「あなた、バルレルなのよね?」
「はぁ?何ほざいてやがる、俺を召喚したのはお前だろうが。お前がバルレルって呼ぶのなら俺はバルレルだよ」
「召喚する前から――私、貴方を知ってたわ」
「何だと?」
 の言葉に悪魔は顔を強張らせてこちらを見る。鋭い目で射止められ、は思わず言葉を飲み込むところだったが、けれどもどうしてもこれを言わないと先へ進めないような気がして言葉を続けた。
「この世界へ来るとき――私、貴方に手を引かれてきた」
「この世界……お前……まさか、そんなナリして召喚獣なのか?」
「皆そう言うけど、私は人間よ――召喚されたけど、でも人間だわ」
 膝を覆うようにしては腕を絡めた。寒い夜だというわけではない、けれども何かから身を守るように彼女は腕の中に顔を埋めた。
「あれは…貴方だったのよね?」
「――どうだかな」
 興味がまるで無いような悪魔の呟きに、はすっと顔を上げた。深い夜の闇が彼女の瞳に吸い寄せられるように映る。ぼんやり、とバルレルはその瞳を見つめていた。すると、急に彼女がその瞳をこちらに向けた。あまりに突然なのでバルレルはさっと顔をよそへやろうともしたが、その間も無くにこりと笑うように少女は瞳を細め悪魔を見た。
「バルレル、貴方に出会ったあれは――あれは、夢だったのかしら?」
「さぁ、な。俺はお前なんか知らないけど。」
 はっきりと答えることが出来ず、バルレルは眉を寄せ再びそう呟いた。


 名前を呼ばれ、はぼんやりとした瞳で膝を抱えたまま正面を見据えた。目の前には一人の男――ネスティが思い悩んだような表情でこちらを見つめている。
「ネスティ…私に何か?」
「あぁ――聞きたいことがあるんだ」
 彼はそう言って、と同じように彼女の前にある木材に腰掛けた。
「聞きたいこと?」
「君は――召喚術を?」
「齧った程度だけど」
 この世界に来てタナと過ごしていた三年間には護身術の一つとして召喚術を教わった。
「それなら、話は早い。君はどうしてその召喚獣を召喚出来たんだ?」
 パチパチと燃える炎はいささかアグラの家で見たときは青白く感じられたネスティの顔の血色を良くさせたように感じられた。けれども、彼はまるで死の宣告をされたように切羽詰った表情をしており、瞳には強い焦りのようなものがあり、にもその緊張が伝わってくるほどだった。
「わからないわ。マグナが言ってたけどこの石は護衛獣として契約済みだったのよね?…でも、どうして私がバルレルを呼べたのか本当にわからないの」
「その石はマグナのだろう?」
「えぇ、昼間に村を案内したお礼にと」
 のその答えに、どっと疲れが押し寄せたかのようにネスティは大きな溜息を吐いた。そして、膝に腕をやり組んだ掌に掲げるように額を当てた。
「不注意もすぎる。派閥の者でない者に簡単にサモナイト石を渡すなんて」
「でも、普通はあの状態の石で召喚は出来ないのでしょう?」
 その言葉にネスティは顔を項垂れたまま、チラリと瞳だけをに向ける。青色に見える彼の瞳も今の時間帯はのように深い黒にしか見えない。ネスティはしばらくの言葉に考えるように間を置いて続けた。
「そのはずだ。だが、君は――彼を呼んだ」
 そう言ってネスティはの隣で機嫌悪そうに顔を顰めている悪魔を見た。突然自分の事を指され、第三者として話を聞いていたバルレルはぴくりと片方の眉を吊り上げ、少々不機嫌のボルテージを上げたように見えた。
「石が普通ではないのか――それとも、君が普通ではないのか」
 その言葉に次はがピクリと眉を上げた。
「確かに私は貴方達から見れば普通じゃないかもしれないわ。でも、それでも――普通じゃないなんて…そういう言い方は無いんじゃない?私は――私は」
 一言「失礼だ」というつもりだったのに、いざ思いを口に出してみれば止まらなくなってきた。
 悔しい、悲しい、といった感情より今のこの気持ちは怒りに近い。
「自分が普通じゃないのは自分でもよくわかってる……それでも、私は――必死でこの世界の事を学んで、やっとここまで来た。それがどれだけ寂しくて、つらくて――あなたは何も、私の事なんか――何もわからないくせに!!
 そこまで言って、はくいっと服の裾を引っ張られる感覚で言葉を飲み込んだ。引っ張られた先を見ていると、バルレルが吊り上げた目でを見ていた。
「言いたいことはわかるけどよ。もう少し、声を落とせ」
 その言葉に少し先の方を見る。全員がと言うわけでは無いが、何人かの旅人は戦いの疲れでもう既に眠りに入っていて、顔を上げた幾人かが今のの大声でチラリとコチラの様子を伺うように一眼した。
「ごめん、バルレル」
「……すまない」
 ふっと、聞こえた小さな声に前を見据える。ネスティが顔を挙げ、眉間に皺を寄せ先ほどとは異なった表情を見せていた。
「事情を知らないのは事実だ。つまり、君は――」
「召喚されたの。三年前に、ね」
 がぼそりと返すと、隣に居たバルレルも「本当かよ?」と驚いたように目配せした。
「その頃はこの子みたいに口も達者じゃなかった。私の世界の言葉はこの世界ではまったく通じるものじゃなかったの――だから、自分は普通じゃないって思った」
「通じない?」
ネスティの言葉には頷く。
「召喚主も居なかった。逃げ出したのか、死んでしまったのかは私にもわからないわ…だけど、死に掛けた私を一人の召喚師が拾って育ててくれた。その人は私に言葉や政治――この世界で生きてく術を教えてくれた。その時、召喚術も教わったの」
「召喚師か…」
「タナ、と言う人なの」
「タナ…」
 考え込むようなネスティを見て、はふと思った。そして彼に少しの希望を持って問いかけてみる。
「派閥の人の中に居るかしら?」
「…聞いた事は無いな」
「…そう、やっぱり」
「一応調べておくよ。召喚師なら名のある人物かもしれないし、君を怒らせた非礼を少しでも詫びておきたいから」
「ありがとう」
 ネスティの最後の言葉にはふっと笑って頷いた。彼なりにを気遣ってくれるのを嬉しく感じる。
 ふと、新たな疑問が生まれネスティはに問いかける。
「だが、召喚されたのなら――君はどの世界の住人になるんだ?」
「どの世界でも無いわ――タナがそう言っていた。ごくたまにだけど"名も無き世界"から召喚される人がいるんですって」
「"名も無き世界"か…参ったな。君の話は僕の知らないことばかりだ」
 ネスティは苦笑したように口元を歪めた。
「すると、この召喚も"僕の知らない何か"のせいなのかもしれないな。新たな暴発か…君の居た名も無き世界の力か……」
「誰にもわからないのかもね?バルレル」
 同意を求めるように隣に居る悪魔に首を向けてみると、彼はさっと顔を向けられ慌てて明後日の方位を向き「さぁな」と、事もなさげに言葉を投げた。

 沈黙が暫く続いた。は気持ちの間を持たせるように、薪で燃える火をぼうっと見つめている。すくっとネスティが立ち上がり、はそこでやっと目が覚めたかのように意識を戻した。見あげると、彼はやはり背が高いのだなという印象がある。
 ネスティの顔にはやはり眉間に皺が寄っているが、ここへ来た時よりは些か強張った感じが薄れているように見える。彼のその表情を、は見つめた。
「すまなかった。君も、疲れているだろうって時に、詮索するような事で攻めてしまって」
「ううん。どうせ眠れなかっただろうから、こうして貴方と話が出来て良かったわ」
 笑ってそう返すと、彼は安心したように口元を緩ませた。
「ありがとう。今日は僕も、もう皆のように眠らせてもらうよ。君も明日に備えて早く寝ておくといい」
「えぇ。おやすみなさい」
 ネスティが去った後にも、は暫く動くことなくパチパチと燃え盛る薪を見つめていた。

 私をこの世界に呼んだ召喚師――召喚できるはずの無かったサモナイト石――出会ったのに、出会ってないと言う悪魔の少年――"名も無き世界"と呼ばれる世界――人に話してみて改めてだが、自分にある多くの謎に気付いた。
 そう思うと、まるで今目の前で燃えている薪も、空に浮かぶ月も、レルムの村で起こった惨劇も、旅人たちも、そして自分が――全部が全部。夢の中の作り物のように思えてしょうがなかった。

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