10:It disappears with moonlight


 眩しい。

 恐怖の末に思った言葉がそれだった。痛みはない。自分は死んだのか?アメルは?マグナは?リューグは?思うことが多すぎた。けれども今は兎に角も、現状を知るのが何よりも先だと思いはうっすらとその黒い瞳を開眼した。視界に入るのは二つの人影だった。一人は剣を振り上げる騎士――そしてもう一人は、剣を受け止めるように槍を構えた翼の生えた少年だった。

「ざけんなっ…どこだよ、ここは」
 「ちっ」っと、リューグのような舌打ちを鳴らし、少年はガキィンっと槍を振り下ろし、黒騎士を一歩跳ね除けた。そして、ばっと後ろを振り返ってを見る。炎に燃えるような紫色の少年の瞳と、の闇のように深い黒が擦れ合った。そして、瞬間はこの少年に出会った事があるのに気付いた。そう、あの白い本の中に出てきた、悪魔の少年だ。
「……人間かよ」
 ついてない、とでも言いたげに少年は顔を歪めた。
「……バルレル」
「バルレルゥ?……って、背中を狙うとは卑怯な野郎だな!」
 ガキィンと再び何かがぶつかる音がした。バルレルは相手の剣と自身の間に槍を挟んだまま、にんまりと口角を吊り上げた。まるで、戦うことが楽しくてしょうがないとでも言った表情だ。
「バルレル…っか!悪くはない…名だな!!」
 ガキンっと最後の一言を言って、バルレルは相手の腕にグサリと槍を突き刺した。少なくは無い血がそこから吹き出し、兵士が悲鳴を上げる――も後ろに居たアメルも思わず息を呑んだ。
「俺様に勝てるわけ無ぇよ。さっさと失せろ!!」
 その一言に納得したのかは定かではないが、黒騎士は森の奥深くへと逃げ出すように掛けていった。

「っふん――大した事無いな」
 唾を吐くように去った騎士にそう投げかけて、悪魔の少年――バルレルはずんっとの方を振り返る。ギロリと睨み上げるようなその瞳に思わず肩がすくむ。どうしてだろう。あの本で会った時は、こんなにも優しい悪魔がいたのかと思ったくらいだったのに。
「面倒なことをしてくれたな」
 その割にはやけに口角が上がっているじゃないか。
「……嬉しそうね」
 驚いた表情をした悪魔の顔を見ては――自分が思ったことを口に出していたのに始めて気付いた。慌てて口元を抑えてみたが、以外にも悪魔は怒っているというわけではなさそうだ。
「まぁ…久々に戦えて楽しかったのは事実だ」
「…そ、そう」
 ニヤリと口を歪めた少年の笑顔には苦笑してそう答えた。
 チラリと見える八重歯はやはりあの本の中で会った少年だ。
「ねぇ――」
!!
悪魔に話しかけようとした背中からいくつもの声が掛けられた。状況を思い出し、は恐る恐る後ろを振り返った。
さん!どうしてあんな無茶を!」
アメルは言って、つらそうに顔を歪めての手を取った。
「怪我は……怪我は無い?」
自分の方が擦り傷が多いのにもかかわらず、心配そうにマグナはの元に駆け寄ってきた。

 どうやらもう戦闘は終わりかけているようだった。今視界に入るのは黒くなった森の焼け野原に、倒れた黒騎士達の無残な姿だけだった。
アメルやマグナの後ろには、宿を貸したはずの旅人達の顔があった。その顔をみた瞬間は自然と頬が緩んだ。良かった。大きな怪我をしている者も居ない――皆無事のようだ。
!」
 呼び声と、走る音が同時に聞こえた。振り返ると森の方から赤い髪の青年がの元へと向かっている。
「リューグ…!ほら、アメルは無事だったわ」
「無事だったわ――じゃねぇ!お前、さっき死にかけただろうが!
彼女に駆け寄った瞬間リューグはそう言ってがつんとの頭をこついた。

 森の方から新たにガサリと茂みをかきわける音が聞こえた――皆が一瞬新たな敵か、と身構えたが。現れたのは―― 「アメル――!さん!それに皆さんも!」
「ロッカ!」
 駆け寄ってくる青年にアメルが彼の名を呼んだ。ロッカは、昼間見た顔が一つも減っていないことを知ってか、はたまたここまで走ってきた荒い呼吸を整えるためか安堵のようなため息をその場で放った。
「皆さん無事で……本当に良かった」
「ねぇ、ロッカ。村の人は?」
ふと口に出されたアメルのその疑問にロッカとリューグ――それには顔を歪めた。先刻丘の上で見たばかりの赤い光景が瞼をよぎる。
「ロッカ?」
アメルも少なからず予感はあるのだろう、震える声でロッカにそう尋ねる。
「すまない…皆、死んでしまった」
「――あいつ等、病人、子供関係なしに殺していったんだ!」
 ロッカの後に続くように、リューグが声を張り上げた。その一言で、辺りの皆は言葉を失う。森の夜は穏やかな動物の声や、囀りの様な葉の擦れ合う音しか聞こえないのに――今、耳に入るのは炙り出される動物達の雄叫びや、森の焼ける音だけだった。
すとんと、軸が抜けたようにアメルがその場所に腰を下ろした。スイッチが切れたように、瞬きをしないその瞳からは大粒の涙が止めようも無いほどに溢れている。
「そんな……ひどい」
「…アメル」
 悔しいけれども自分は何もして上げられない。はただ、彼女の隣に膝付き、その手を握り締めた。

「――慰めあいか?」
 ずしんと重みのある声が聞こえ、アメルに向けていた視線を皆はさっと後ろへ向けた。残党だろうか、黒い甲冑を身に纏った大柄な男がそこには居た。
「妙な事をする――兎に角も用件を言わせてもらうぞ。その聖女をこちらに渡せ」
 皆が皆真剣な目をして、その男を見た。残党かと思ってはいたが――今までの兵士達とは違う威圧感。恐らくは幹部クラスの人間と見てもよいだろう。ここは慎重に事を運ばなくてはいけない、とを含めそう考えを持った何人かがごくりと唾を飲んだ。
嫌よ!――誰が渡すものですか!」
!?」
 振り上げられた声の主に、皆が驚いた顔をしての方を見た。はアメルの手を握りながらも直、続ける。
「アメルは渡さない!彼女は物じゃないのよ!」
「勇ましい女だな」
 嘲笑うような声に、耐え切れなくなり飛び出したのはリューグだった。斧を掴んだ腕を振り上げ、彼は力いっぱいの男に向かって行った。だが――
ガギィィン――
「力無くして何を守る」
「――お前がっ!」
 男が片腕で持った大剣だけで――リューグが両手で振り上げた斧を受けているという、まるで信じられないような光景に誰もが目を疑った。

 だが暫くたつと、状況は一変した。黒騎士の後ろに少人数だが新たな兵隊が武器を構えているのが物陰から伺えたのだ。その様子に、行動したのはロッカだった。
「……行くしかない」
「ロッカ?今は――」
の静止も聞かずに、ロッカは駆け出し応戦するように槍を振り上げた。
「……ロッカ!」
 駆け出そうと、立ち上がったの肩を誰かが止めるように触れた。後ろを振り返れば、マグナが険しい顔をしてこちらを見ている。
「駄目だ、危ない」
「今は、そんな事――」
『言ってる場合じゃない!』と言おうとして、は言葉を切らした。端から見える森から一つの影が見える――さっと武器も無いが身構える――あの大きな身体――まさか、新たな敵だろうか?――否、あれは。
アグラさん!
「……へ?」
のいった言葉にマグナは呆けたような声を出し、そちらを見た。がさがさと葉を掻き分けるようにして斧を抱えた一人の老人が敵陣に向かっている。
「お爺さん!?」
アメルも彼の存在に気付いたらしく、涙を振り払って状況を見た。アグラさんはこちらに声をかける様子など無く、ただただ急いで敵陣へと向かっていた。

ガギィィン――

 だが直ぐに、信じられないような光景が再び視界に写る。あのアグラさんが、リューグがてこずっていたという黒い騎士の剣に対抗するように斧を振り払っているのだ。それも、リューグの時とは違って――互角と言えるほどの力量で戦っている。
逃げろ!――その子を――二人を連れて、早く!逃げてくれ!!」
 発せられた声がはっきりと離れたコチラまで聞こえた。二人とは――アメルと、の事だろう――マグナはその言葉にこくりと頷き、皆を振り返った。
「アメルとを連れてこの村を出よう」
「嫌です!どうして――お爺さん!!」
 だがアメルは叫ぶようにして、遠い場で戦う彼に向け手を伸ばした。は再び彼女の隣に着き、ゆっくりとその腕を下ろしてやる。アメルは悲痛に顔を歪めて、戦場を見つめていた。
「大丈夫。アメル――私が」
「君は行っては駄目だ」
 上から聞こえた冷たい声には顔を挙げ、その男――ネスティを睨むように見つめた。
「あの場が混乱するだけだ。それに、君にはいくつか聞きたいことがある」
「今はそんな事――それより、私は――」
 『行かなくては』と答えようとして、は口をつぐんだ。アメルが静かに自分の手を握り締めている感触に気付いたからだ。彼女は哀願するように、瞳から涙を落とし、首を小刻みに横に揺すった。
「行かな…いで、さん。行かない、で下さい――貴方まで――」
「…アメル」
 は辛そうに眉間に皺を寄せた。自分は一人になる恐怖を知っている。それなのに、それなのに、彼女を一人にさせるなんて出来るわけないじゃないか。あの苦しみを彼女に知らしめる必要など無いじゃないか。行かないで――と哀願するアメルの言葉には無言で頷いた。

 村を出る最中、は何度も戦場を振り返った。
 分が悪いとは思えない、けれども良いともいえる状況ではない。戦いは五分五分、勝敗も彼らが生き残るかという答えも――全てが不確かなものであった。
 振り返った最中、ロッカの瞳と目が合った。彼は敵と剣を交えているにもかかわらず、こちらの様子に気付いた途端、顔を歪めたような――だが確かに見送る笑みを浮かべていたように感じられた。

 森を走っていて、改めて感じた煙の多さには何度も咽返すように咳をした。
前を走っているマグナが心配そうに、こちらに顔を向けたのでは「大丈夫よ」と小さく返した。
「煙のせいだから」
 止まらない咳も、涙も。そうきっと、全部この煙のせいなのだ。

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