9:It disappears with moonlight


 訳が分からないと、茫然と立ち尽くしていただったが、次第にそんな場合ではないということに気が付いた。紅の森から上がる黒い煙が、昼間は青かった空を伝って町を覆っている。煙が肺に入り込み、普通なら意識が薄れるだろうという状況なのに、思考はどこかすっきりとしているのが不思議だった。
 はぎゅっと自らの唇を噛み締めた。このまま村を出るわけにはいかない。この状況をあの旅人達に、そして双子やアメル、アグラさんに伝えなくてはいけない。

 は駆け出した。
 足が何度も縺れそうになり、ずきずきと痛む箇所も幾らかあった。それでも、かける事を止めようとはしなかった。できなかった。
 双子と暮らす家がある、小高い丘を越えると村が見通せる仕組みになっている――この場所に来た頃はロッカに言われたこの丘から見る村の景色がとても好きだった――だが、今視界に映っている光景には絶句した。あまりにも酷すぎる光景だった。民家に広がる紅、空に上る黒――夢だとしたら。悪夢だとしか言いようが無い光景に吐気がし、思わず口を覆った。
「どうして――」
 答えてくれる者など居ない。不安に恐怖。混沌と混ざり合った思考で、は煙と混乱に視界が滲むのを感じた。
「おい!!」
 後ろから聞こえる声に、ばっとは振り返った。敵だろうか、と思い身構えようかと思ったが、今更になって剣を持ち出すのを忘れていたことに気付く。
「け、剣が……!」
「お前……俺に剣向ける気かよ」
呆れた声が聞こえ、「え」と驚きの声を上げはその人物を見あげる。敵ではない――リューグだった。
「その様子じゃ、まぁ……のこのこ村を退散する様子じゃないな」
安堵と、残念がるような微妙な表情を見せリューグは口角を上げた。村から立ち上る紅の炎の光で、今日は髪だけでなく彼の瞳までもが紅く見えるようだ。
「大変よ!村が――」
「言わなくても、見れば分かる」
そう言ってリューグは眉間に皺を寄せ、村の方向を振り返った。悲しみというよりも、怒りといった感情が彼の表情から伺える。ふと、茶色く見えた彼の瞳にはアメルを思い出す。
「兄貴が――ロッカが、今アメルの居る"離れの屋敷"に向かっている。俺は村とお前の様子を見て来いと言われて来たんだが…」
 口を開き、リューグは顔を少し俯かせた。そして辛そうに拳を握る。
「誰も生きちゃねぇ……」
「え?」
「皆死んでるんだよ――皆――あいつ等が殺しやがった!
「――そんな」
村が全滅?ただの火事ではないの?それに、あいつ等――その言葉には、ふと先ほどの金髪の男を思い起こす。根拠はない。けれども彼の言った「戦場になる」という言葉が頭から離れないのだ。
「あいつ等って?」 「知るかよ。黒い甲冑の気味悪い兵隊達だ――森の中を通ったから俺は気付かれなかったけど。あの数はさすがにやばいぜ」
「あっ!」
 突然が声を上げたのに、リューグはビクリと肩を震わした。彼女は何か忘れていたことを思い出したような顔をしており、急いで回れ右をして駆け出した。
「っな!――おい!!」
 リューグも急いで走り出した。
 女のに追いつくのは思ったよりも簡単だった。リューグはとにかく彼女を止めようとその手を握った。だけど思ったよりもそれは細くて、妙な不安を感じ、リューグはすぐに彼女の腕をほどいた。彼女の歩みはすでに止まっていた。腕を掴んできたリューグには振り返り――不安そうに瞳を泳がせ、その瞳で彼の顔を一眼した。
「何処へ行くんだ?」
「マグナ達の所へよ――ただの火事でないのなら彼等も危ないわ!」
「マグナ?」
誰だそいつは?と言いたげにリューグは顔を歪める。状況が状況だが、彼のその反応に思わずは溜息を吐きたくなってしまった。
「昼間!貴方が喧嘩を売った旅人達よ」
「あぁ……って、あれは喧嘩じゃねぇ。あいつ等が列を割り込もうとしたんで俺が――」
「わかってる……わかってるから!……早くこの事を伝えに行くわよ!」
いつもより何倍も迫力ある彼女に彼は苦い顔をして頷くほかなかった。

 丘を駆け出していくと、背中に生暖かい風を感じる。炎によって巻き起こった熱気がもう、ここまで来ているのかと思い振り返ろうとするが、それをためらってしまう。背中から射す赤い光で緑の湿原は赤く染まっており、自分達の黒い影が揺れながら走っている。
 そう、状況は振り返らずとも分かる。

 家の扉を空けただけで、とリューグは既に彼等がここに居ないことを悟った。玄関に立てかけていた彼等の武器や荷物といった物がすでにその場から消えているからだ。リューグは短い舌打ちをして、玄関のドアの周りの壁を拳で殴った。
「逃げやがった!」
言い返そうとしては口を開いた。だが、この状況では何を言っても意味の無いような気がしておとなしくそれを閉じるに至った。
 だが、ふともう一つの疑問に気付く。いつもなら玄関に立てかけている斧が無いのだ。それに本来ならここに居るはずの人が居ない。この状況にいち早く動き出しそうなあの人――アグラだ!
「リューグ――アグラさん、は?」
「……いねぇな」

 取り合えずと、とリューグはアメルの居る離れの屋敷まで向かうことにした。だが、丘の上から見渡したレルムの村はすでに赤い炎と黒い甲冑を纏った騎士達によって自分達の走りこむ隙間など見えない。リューグは右手で斧を肩に賭け、左手での手を掴んだ。
「森を通るぞ。そのほうが早い」
 その道はも何度か見たことのある道だった。だがこの道が何処へ続くのは知らなかった。最後まで進んだことは無かったからだ。
 リューグの言ったとおりその道はアメルの居る離れまで繋がっていた。屋敷が見えると、早く森を抜けようと、はリューグに繋がれた手を振り払うようにして駆け出す。だが、一度離れた彼女の手をリューグは再び強く引き彼女を後ろに引き込んだ。
「状況を見ろ」
「状況?」
 草むらの僅かな隙間から、は言われたとおり辺りを見回した。村よりは少ないにしてもこの離れにも炎が取り巻いている。そこに居る何人かの黒い騎士風の男達が旅人達と戦っている――旅人達と戦っている!?
「マグナ!!」
ガサッと音を立て、は草むらから身体を上げた。だが、隣に居たリューグが素早く彼女の頭を抑えて身を潜めさせる。
「馬鹿野郎!連中に見つかるだろうが!!」
「だけど…だけど、あれはマグナ達だわ」
「あぁ、たしかに昼間の連中だな」
 いまだ嘗て見せた事の無いような冷静な目で、リューグは黒い騎士達と戦っている旅人達を見た。分が悪いと言う訳ではなさそうだ。黒い騎士達はもくもくと戦闘を続けているが、それに負けない気迫を見せるほど彼等は闘気に溢れている。

 リューグと違い、は困惑したように瞳を泳がせていた。いまだに状況というもの全てを飲み込めないのだ。
 何故村が燃えているのか――黒騎士達に襲われているのか――そして何故あの旅人達は躍起になって闘ってくれているのかが――あまりに予想だにしなかった展開に、思わずグルグルと視界が揺れそうになる。だが揺らいでいたその黒い瞳はある一点に置いて静止する事となった。旅人達の最後尾に彼女――アメルが居ることに気が付いたのだ。
「アメル!」
!止めろ、戦いが落ち着いてから行かないとお前まで巻き沿いを食らう!」
「だから何よ!それじゃぁ、リューグはアメルやマグナ達が怪我をしてもいいって言うの?」
「いいわけないだろう!だけどお前は武器一つ持ってない。もし俺が着いてた状況で、大怪我でもしたらあいつが――アメルがなんて言うか分かるだろう?」
 だが、その一言にはすっと立ち上がる。そして黒に揺らいだ瞳でリューグを強く見つめた。誰がどう見ても、素直に忠告を聞くという顔ではないのは確かだ。
「だから何――武器が無くても、この体でアメルの盾に位はなれる!」
「なっ……!?」
 の一喝にリューグは信じられないとでも言わんばかりの目で彼女を見返す。はその先何も言わず、アメル達の居る建物の裏側であろう道に続く森へと掛けていった。リューグはかける言葉もなく、呆けたようにその背中を見つめるだけだった。

 がむしゃらにというのはこう言う事だろう――走る最中はそう思った。あまりに早く走ろうとしているので、何度もつまずきそうになる、だが、つまづいている暇なんてないのでそれを無理にでも立て直す。その繰り返しだった。けれどもその全部を立て直すことは出来ないので、は膝にいくつかの傷を造ってしまった。僅かだが、痛みに視界が滲む。だけど泣いていい状況なんて思えない!と、腕でそれをぬぐってまた駆け出すのであった。
 どれ位走ったのかは分からない、けれども息切れして言葉を出すのが辛い位の距離をは走った。森をゆっくりと抜ける。見える茶色い髪の揺れる背中に思わずは駆け出した。
「アメル!」
「きゃー!」
 聖女の叫び声に反応して、前方で闘っていた旅人達は一斉にこちらを振り替えり各々の武器を構えた。だが泥だらけで聖女に駆け寄るの姿を見てその中の一人が大きく声を張り上げる。
…どうして君がここに!?」
 マグナはそう言うと、他の仲間たちも聖女に駆け寄った少女がだと気付き。直ぐに顔を背けた。そして、向けられてくる剣にいち早く対応しようと体制を立て直す。そうだ――今は戦いの最中。とても他人にかまっていられる状況ではないのだ。

「ごめんなさい。さん。私――その、つい驚いてしまって」
 戸惑いながら、必死で彼女に謝るアメルを見ては今まで堪えていたものを吐き出すようにボロボロと涙を流した。
「ごめんなさい、さん」
「ううん」
 首を振って、は顔を上げた。良かった。アメルが無事で――本当に良かった。
 だが、瞳にあった涙をぬぐった時点ではあることに気付いた。自分の目の前で聖母のように微笑む少女――その後ろに今まで見た騎士の中でも一段と大きな黒い影がある事に。
「――危ない!」
 叫び、はアメルを引き寄せ自分の後ろへとやった。目の前には剣を振り上げた騎士が無言でそこに立っている。黒い甲冑を纏ったその容姿で、表情はまったく伺えない。は思った。まるで、感情の無い人形のようだ。

 は体制を直し、アメルの前に立ち直した。涙を拭いている暇なんてない。濡れた頬、泥だらけの顔――ぎゅっと唇を噛み締めは彼女の盾になるべく立ち上がった。
さん!?」
 事態に気付いたのか、後ろからアメルが叫ぶようにの名前を呼んだ。けれど今振り返ったらそれこそ二人とも無事ではいられないはずだ。は振り返ることもせず、ただ前に立ちはだかる騎士を見上げる。
「――聖女を渡せ」
 無機質な声が聞こえ、は急にどっとした恐怖が襲い掛かるのを感じた。この人たちは人形ではない。目的の為に忠実に動く人間なのだ。忠実に――だから邪魔をする私を殺す?――そんなの、怖い――殺される?――嫌よ――村を襲ったこの人たちに?何故――何故、この村とは無関係な私が殺されるの?

さん!」

後ろから聞こえる呼び声ではっと気が付いたように、首を上げた。泣きそうな、振るえ声で私の名前をアメルは何度も呼んでいる。「アメル……」と、は彼女を目を細めて視界に入れた。
 ありがとう。
 そうだ。何を迷っているんだ。
 私はそもそも彼女達が居なくてはここに居ない――名前を呼んでもらえることさえなかったかもしれない存在なのに……生かしてくれた彼女を――さんと呼んでくれる彼女を守る事にどうして"躊躇い"を持っている。
「聖女は、渡せ……ない」
 絞り出した声が震えていて、自分の喉から発せられたものだとは思えなかった。酷く不恰好で、示しが付かない状況だった。けれどもそれは確かに自分の気持ちだった。死んでしまおうとも、彼女を守る。守りたい。
「……」
 兵士からは息遣いも聞こえない。いや、周りの音にかき消されているだけかもしれない。
 ふとは思った。二人生き残る方法は無いのだろうか?と。この兵士に勝てる事が出来ないだろうか、と。そう思い手探りで服の中を探った。武器でなくともいい――武器になりそうなものがあれば――コツンと手に冷たい感触が走った。
 の手に触れたのはおそらく昼間にマグナがくれたというサモナイト石だろう。この村を出ようとした時、確かにそれを確認したのだから。けれどもこれは使えない――普通の召喚獣でなく、護衛獣としてすでに契約済みのサモナイト石はそれを契約した召喚師でないと呼び出せないからだ。は再びぎゅっと口を噛み締めた。痛みは感じなかったが、鉄のような血の味が口の中に静かに広まった。
「渡せない……か」
 穏やかに聞こえる声だが、冷たい殺気を漂わせているのをは感じた。ゾクリと背中に蜘蛛が這うようなおぞましい感触が襲う。目を見開いて、は騎士の振り上げる剣を見た。
「では――死ね!
 死ぬ?――死?
 恐怖には目を瞑った。無意識にだが、最後に触れたサモナイト石を握って。
の後ろに居たアメルはその光景に大きな悲鳴を上げる――前線で戦っていた旅人達もその悲鳴に視線を向ける。そして次の瞬間だれもが目を疑った

 聖女の盾となっている少女――の周りから視界が覆われるほどの光が溢れていたからだ。

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