6:It disappears with moonlight


 忘れかけていたものというものは、言われて気付くものだ。
 下のほうでアメルが「あなたは傷を負っているでしょう!」と、叫んだ瞬間に、は足の痛みを感じ、直後まっすぐに動くことが難しくなったのに気付いた。けれどもいまさら後戻りなんて出来るわけが無い。は腕を伸ばし、懸命に黒い猫へと手を伸ばした。
「(届け……!!)」
バキッ――
嫌な音が辺りに響いた。下からはアメルの叫び声が聞こえる。も内心、今の事態に恐怖を覚え額からは密かに冷や汗のようなものが吹き出ていた。けれども、あと少し――あと少し、手を伸ばせばあの猫を助けられるのだ。
 どうしてここまでして、あの猫を助けようと思うのかは分からなかった。
 少しでもアメルに良い姿を見せたかったというのもあるかもしれない。
 動けそうで動けないというこの猫に、今の自分を重ねてしまったというのも一つの理由かもしれない。
 とにかく、見捨てるという考えだけは浮かばなかった。
「おいで」
 小さく、呼びかける。猫はそこで、を見た。不思議な色の瞳をしていた。黒猫は短く「にゃあ」と鳴き――勢い良くに飛び掛った!
「ちょ――ちょっと!!落ちる!
叫び、そしては落下した。落下しながらも、は腕を伸ばしていた――そして、黒猫を胸に抱える。黒猫は再び「にゃあ」と鳴いた。は恐怖のあまり目を閉じた。そして次の瞬間は地面に落下――は、しなかった!
 誰かが、の身体を支えていた。はおそるおそる目を見開いた。少し低い位置にアメルの泣き顔がある。それを見ても訳がわからず、は目をぱちくりとさせて彼女の泣き顔を見た。
「うっ…さん!」
 アメルは鳴きながらに寄りかかってきた。けれども、はいつもより彼女の身長が低いことを疑問に思い、下を見た。
「だ、大丈夫だった…かな?」
「きゃぁ!」
 叫び、は自分の身体が小さな子供を肩に乗せるようにかるわれてているのに気付いた。を抱いて居るのは一人の背の高い男だった。けれども、彼は一体誰で、どうしてを助けたのだ?――男はそっとを地面に落とした。ふわっと、優しく地に落とされてはすぐさま顔を上げて男を見上げた。幾分自分よりも背の高い、濃紺の髪と瞳を持った男だった。男は人好きしそうな歯を見せる笑いをに向けた――小さく見えた八重歯がいつかの悪魔を名乗る少年を彷彿させた。
「無事でよかったよ」
 ニコリと笑う青年の笑顔に悪意といった言葉は一つも見えない。は幾分恥ずかしそうに顔を伏せて、頭を下げ礼をした。
「ありがとうございます。本当に」
 するとの腕に抱かれていた猫も言葉に沿うように「にゃあ」と、一声鳴いた。それを聞いて男は軽く笑い声を上げ、の腕の中の黒猫の頭を撫で付けた。
「お前もよかったな。無事で」
 撫で付けられると、ネコは気持ちよさそうに腕の中で身を揺らす。それを見て、もクスクスと笑った。数分前に死にかけたのが嘘のようだ。
「ところで、あなたは?村の人ではないですよね?」
「え……あぁ、うん」
 男はそう言って、頭の後ろをがりっと一掻きした。どうやら村の人ではないようだ――それなら聖女を探しに?――は、そう問いかけようとして、アメルを見た。けれども、アメルはまったくの心境に気付いていないようで、眉を寄せた険しい顔をして男と、を見た。

「貴方は左腕を――さんは、右足を出してください」
「はい?」
「アメル?」
 男ももアメルの言葉に、何、と言わんばかりに首を傾げる。けれども、そんな二人の反応にもどかしいとでも思ったのかアメルは声を大きくして再び言った。
腕と、足を出してください!!
「「は、はい!」」
 ごめんなさい!とでも、言わせんようなアメルの剣幕に男は左の腕――は右足を差し出した。そして、彼女の前に差し出して二人は気付いた。その場所に血が滲んでいることを――つまりは怪我をしているのだ。
「座って下さい」
 ざっと、二人は腰を下ろしアメルの前に座った。アメルもそんな二人の真正面に膝を着き、まず男の腕を手に取った。
「大丈夫、すぐ直りますから」
 囁くように、呟かれた声が聞こえた。すると、アメルが触れた男の腕からたちまち白い光が放たれた。眩しさに、男もも目を細める――神々しいまでのその、光景。あぁ、きっとこれが聖女の力なのだ。
 聖女の力を初めて受けたマグナは茫然と、自分の傷があった場所を眺めていた。
 じりりっと音を出しながら、アメルは次は貴方と屈んでいるへと寄って来た。
「次は、さんです」
「アメル、私は――」
 大丈夫よ――と、続けようとしただったが、アメルの強い視線に言葉を飲み込んで顔を硬直させた。
「駄目です。やらせて下さい」
 そうして、アメルは両の手を使い、の足首に触れた。突然の人肌に、はびくりと足を動かした。アメルは瞳を閉じ、集中しきったかのように見えたが――そのままの体制と表情で語りだした。
「本当は、ずっと前にこうすべきだったんです。貴方がロッカに連れられたときに、その包帯を見て、私は気付いていた。だけど、できなかった。心のどこかで、この人と――さんとならお友達になれるかもしれない、と思ったから――はじめて会ったときに思ったとおり貴方は優しくて――嬉しかった。あの離れで一日を過ごすのに、貴方を思えば憂鬱なんて気にもならなかった。それほど私にとってあなたは、大切な人です。だから、幸せになって欲しい――けれどずっと一緒にいてほしいと思う。それは貴方の道を塞いでしまうのに――矛盾してますよね」
「……アメル?」
 つらつらと出てくる彼女の言葉に、は呟く。アメルは目を伏せたまま、頷く。アメルの触れる足首がとても温かい。
「貴方は自由が似合います。さんは、きっとそれなんです。あなたは、ここに居るべきではないんですよね、きっと。貴方の望む場所へ行ったほうが貴方は幸せになってくれる気がする。そして幸せな貴方を見ることが私の幸せなんです。だから――もう、引き止めたりしません」
「アメル…」
「頑張ってください。そして、貴方の望む人に会って来て下さい――いままで沢山、我侭を言ってごめんなさい」
 そう言って彼女はぽんっと仕上げと言わんばかりに、の足首を軽く叩いた。痛みはもう無い。全て彼女が直してくれたのだ。そう、思うと――なんだか無償に悲しくなってきた。まるでこれで終わりだと告げられたようで――

「アメルさま――!!」

「アメルさま?」
 突然の声に男は不思議そうに声を上げ、とアメルは声の聞こえた方を振り返った。見るとそこには自警団の男が一人居た。彼は腕を振り、とアメルの注意をこちらに促そうとしているようだった。そうだ、もうここへきて随分と時間がたっている。
「休憩の時間はとうに過ぎております。どうかお戻りを!」
 予想通りのその言葉にはアメルの表情を伺う。彼女はもう少しここに居たいのではないだろうか?仮にも私は今日この村を出ると約束したのだから、もう少し一緒に過ごしたいと思っているのではないだろうか?もちろん、私もそうしたいのだけれども。
 色々な思いが交差して、取り合えずと彼女を見てみる。すると、彼女はの方を見てただニコリと笑顔を返した。
さん。私は戻ります――その人はどうやら旅のお方みたいですから、村の案内でもしてあげたらどうです?」
「アメル?」
「大丈夫ですよ。自警団の人も居ますし――私は、一人で戻れますから。」
 そう言って、彼女は振り返ることなく呼びに来た自警団の下まで走っていった。慌しいそのようすに首を傾げたのは、ではなくマグナだった。
 アメルの背中を見ていただったが、すうっと一呼吸置いてばっと後ろを振り返った。突然彼女が後ろを向いたことに後ろに居た男は「わっ」と驚いたように一歩あとず去った。
「お邪魔じゃないのなら――彼女の指示通り、この村を道案内しますけど――どうします?」
「邪魔――?そんな!ぜんぜんお邪魔じゃないよ!むしろ、助かる――実はどうやって暇を持て遊ぼうかと悩んでいたんだ」
「そう」
 一言返して、は彼の言葉に頷いた。そこで沈黙が続く。性格からか、性根からか、この状況に耐え切れなくなったように男がに怪我をしていた――右手を差し出す。
「あの、宜しく。俺、マグナ」
「宜しくね、私は
 ニコリと笑った彼女の笑顔は、けれどどこか寂しそうにマグナの瞳に移った。

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