5:It disappears with moonlight


 そんなこんなで、磁石で引かれ合うような出会いをとアメルはした。そのことからも予想できるかもしれないが、二人はたいした時間を掛けずして仲良くなるということが出来た。は何故だかは分からないけれど、アメルやロッカ――それに、リューグやアグラ爺さんの、皆のその茶色い瞳が細められる瞬間が大好きだった。それを見ただけで満たされた気持ちになったのだ。

 始めて彼女を見た時思ったとおり、聖女はやはりアメルだった。彼女は他人には無い力を持っていたのだ――怪我や、病気を治す力――信じがたいが、私もここに来てから幾度かその場面を見たことがある。けが人や病人に向け、アメルが手をさし伸べる――すると突然、彼女の掌が光りだして――患者は元気になっている。そういった具合に彼女は力を見せていた。
さん」
 と、アメルは私を呼ぶ。リューグは敬称をつけることなどないが、ロッカも私をそう呼ぶ。私はアメルと呼んでいるが、彼女は「さん」なのだ。その日の彼女もさん、と私を呼んだ。私はアメルの休憩時間を見計らって例の白い離れまで来てちょうど面会の許可をもらった。その時だった。背中から、アメルが声を掛けてくれたのは。
「今日も来て下さって、ありがとう」
「ううん、私のほうこそ毎日押しかけて――」
 そこまで、いっての声がしゅんっと落ち込む。萎みこんだ彼女のそれに気付いてか、アメルは「えい!」っと妙な掛け声と共に、同じ背丈の彼女の頭をこづいた。
「迷惑なんかじゃないです。私は本当に、本当に嬉しいんだから!」
「私もここへ来るのは楽しみよ」
さん」
 私の名前を彼女は呼んだ。そして、手を握った。私がぎょっとして彼女を見る。柔らかな色をした茶色い瞳は気のせいでなければ悪戯に光っていた。
「外へ行きましょう」
 私は「うん」と頷くほか無かった。それは「聖女」という彼女の重みを知ってゆえだった。ロッカやリューグと兄弟だという彼女だけれども、今はこの離れに警備員を囲って毎晩のように寝泊りしている。毎日毎日何百人という患者を前にして――そして、力を使う――全て、彼女が『聖女』だからだった。そう思うとこの手を離すことは酷く残虐なことのように思えた。

 喜ばしいことに最近――ロッカが付いていればもちろんだが、が付いただけで専用の警備員なしでアメルの外出が許可されるようになった。と、いうのもこの村の警備員にも負けないほどの戦闘能力がにはあるからだった。以前村中の警備員が居るというほどの戦闘訓練の中にロッカ、そして怒鳴るリューグの静止も聞かずは加入させてもらった。だが、数分後にはロッカもリューグも目を見開いてその光景を見張ることになった。彼女は自分達以外の自警団全て打ち負かしていたからだ。まさか、こんな結果がでるまいと思っていたのか二人とも――あのリューグでさえ「見目の割には強いじゃないか」と、おおいに彼女の強さを賞賛した。
 異世界から来たは、元は戦いを知らない人間だったのだがこの世界で最初に出会った『タナ』という男から、熱心に戦闘訓令やリィンバウムの史実というものを解かれたのだった。三年間みっちりと。だからは強かったし、あらゆることに詳しかった。それに、才能が無ければ使いこなせないという召還術も彼女はある程度だが使えた。

 アメルはいつもとの外出には森を選ぶ。それは、自然が好きということもあってだが一番の理由はあの自分の寝泊りをしている白い家に居たくないという事だった。彼女は村人にはそういった顔を見せないが、兄弟や私の前では大いにあの家を嫌っていた。
 森へ付いて、アメルもも自然と深く息をすった。ここにくれば何もかもが開放されるような不思議な満足感が得られるのを二人は知っていた。アメルは深い呼吸を終え、そしてを見た。彼女と同じくらいにまで伸びた髪の毛は、いつもは真っ黒だがこうした天気の良い日に外へ出ると時折アメルのように茶色く透けた色を見せる。それが、とても綺麗なのだとアメルは思う。
「変ですよね」
そう言って、アメルは今度はの足元に視線を向けた。彼女の足元に巻かれていた包帯は今では大きな絆創膏一枚になっている。いつの間にか小さくなった彼女のそれを見て、アメルは顔を歪めた。

「貴方の傷が早く直れば良いと思っていたんです、だけど。だけど、本当は直ってほしくないのかもって――最近思うんです。ねぇ、さん。私、おじいさんに頼んで見せます。だから、もう少し――傷が治ってももう少し、私達のそばに居てくれませんか?あの家に居てください」
 切なげに、アメルは目を細めて哀願する。それをみて、も胸の奥が締め付けられるような痛みを感じる。だけど、だけど彼女はもう決めていた――自分が選ぶ道を。
「ごめんなさい」
 そう言って首を振ると、アメルの瞳にじわりと涙が滲んだ。
「私、知っています。貴方がここの世界の住人でない事も――この世界のどこかに貴方が慕っているだろう人が居ることも、知っています。知っているんです。ごめんなさい、でもロッカを攻めないで。全部私が聞きだした事なんですから」
 アメルはそう言って、ぐしっと鼻を啜った。彼女が今言った言葉の内容は初めて彼女に会う道で、私がロッカに言ったことだった。彼女からロッカへ渋ったのか、ロッカから彼女に教えたのかは定かではないが――そんな事はどうでもいいと思った。
「構わないよ。それに、アメルには知って欲しかった――どうして私がここに居るのかを」
「そう言ってもらえると…嬉しいです。だけど、さんと離れるのはとても寂しい」
「私も、寂しいよ」
 そう言って、は目を細める。彼女の瞳もアメルのようにうっすらと滲んでいた。何ヶ月もお世話をしてくれた彼女達と別れるのはとても寂しい――だけど、これは区切りだ。
「ここを出て、私はある人を探しに行こうと思ってるの」
 私を拾ってくれた人に。
「私がここに居るのもその人のおかげだから――会って――その人に、私を置いた理由を聞きに行こうと思うの」
「怖くはないのですか?」
 アメルはを見つめた。彼女の黒い瞳には微かに怯えのようなものが見えた。それを見るとドクンと心臓が脈打つのを感じた。彼女のいう言葉に直面して――隠されていた自分の心の弱さが浮き出たようだった。
「怖いよ。でも、ここにじっといるとあの人のことを忘れてしまいそうで――忘れる方が怖いと思うの。たとえ会って拒絶されても、また離れられても、せめてこの気持ちに区切りをつけたい。嫌なの、地に足を付けれないでふわふわと浮いている今の私が」
 普段は鳥たちの声で賑わうその森もその日はどこか静かに聞こえた。実際、鳥たちはさえずり声を上げてはいたが張り詰めた空気の中に居る二人の耳までには届かなかったのだ。
さん。覚えていてください――私達――ロッカもおじいさんも――あのリューグも、決してあなたを拒否したりはしません。いつか、戻りたくなったその日に、帰ってきても」
「アメル」
 こんなにも優しい人たちに、どうして自分は出会えたのだろうかと思う。もちろん、過去に自分の暮らしていた世界もとても素晴らしかったが、けれどもこの世界での感動とはどこかかけ離れているもののようだった。この世界は――全てが純粋で。
「ありがとう、本当に」
 涙は出なかった。出さないで、ここを出るまでできるだけ多く彼女の笑顔を見ておこうと思った。

ニャー――

 絶妙なタイミングでその声は聞こえた。アメルもも顔を見合わせて、目をぱちくりとさせる。確かに今、猫の鳴き声が聞こえた。
「猫?」
「猫、でしょうね」
ふっと、合図も無しに二人は同時に顔を上に向けた。大きなその木を見上げる。何メートルかは分からないが少なくとも高い位置に――一匹の黒猫が居た。
「よし」
そう言って、は白いブラウスの腕をまくった。右側をまくって――左の袖に手を掛けたところで彼女の腕をアメルが掴んだ。
「何をする気ですか!」
「下ろす気よ。あの猫を」
 そう言って、は笑顔で猫を指差す。指差された、猫は小さくニャーと鳴いてもぞりと小さく前足を動かした。まるで早く助けてくれとでも言ってるようだった。アメルは眉を寄せ、「でも」と呟いた。
「危ないかも――いえ、絶対危ないです!さん。あなた女の子でしょう、それなのにこんな……そうだ、こうしましょう!ロッカかリューグを呼んで」
「その前にあの猫が落ちちゃうわ。大丈夫、こう見えても鍛えてるんだから」
そう言ってはアメルの静止も聞かずに、腕を完全にまくりあげ木に手を掛けた。よっと身を浮かすように、腕に力を込める。確かに言うだけ、あって彼女の身のこなしは女性とは思えないほど軽やかなものだった。だが、内心それを下で見ているアメルは気が気ではない。彼女はオロオロと口元に手を当てて木の下を歩き回った。
「でも、怪我もあるのに…それに、あんなに高い所にのぼったりして…もし落ちたら、また大怪我を…でも怪我をしたらさんはまだここに残ってくれるかもしれない…でも、怪我なんかしてほしくない」
 ぶつぶつとアメルは思ったことを言って歩き回っていた。だが、数歩歩いて彼女は謝って木に――否、人にぶつかってしまった。

「うわ、ごめん」
 男はそう言って、小さく頭を下げた。アメルはそんな彼を見て、腕をがしりと掴む。そして、の上っている木を指差し大きく叫ぶ。何を言っているか自分でもわからないほどに、彼女は混乱していた。
お願いです!あの人を助けて!あの人は――さんはまだ怪我人なんです!」
 涙目で訴える見ず知らずの少女を見て、男はダラダラと額から汗を流す。濃い紫色の瞳が明らかに焦りの色に染まっていた。
さん?…あの、何が何だか…俺、まだこの村に着たばかりで、その」
 そう言いながらも、男は少女の指差す先をチラリと一眼する。そして、大きく目を見開く。大きな枝の上に、一人の少女がなんとも不安定な形で乗っているのだ――その先には猫も居るが――今の状況では説明しなくとも良いだろう。男は、視線を下ろした。そしてアメルの方を見て、力強く頷く。
「わかった。ここに居る――もし、もしもだけど――あの子が落ちたときは俺に任せて」
 こくり、とアメルは涙を溜め込んだ目のまま頷き、を見た。そして男――マグナもまた同じように木を見あげ、不安そうな眼差しでを見つめるのだった。

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