4:レルムの村 散歩へ行って来る、と行って出て行ったリューグだが、ものの数分もせずに彼は家へと戻ってきた。不機嫌そうな顔は相変わらずだけれども、髪の色を除けば兄のロッカそっくりである。 そして、ズカズカと扉を潜ったリューグの後ろに一人の男が居るのには気付いた――老人のわりには体格の良さそうな男のようである。茶色い髪に、茶色い顎鬚、先に帰ってきたリューグの時のように彼もまた大きな斧をその肩に軽々と乗せていた。斧を玄関の隣の壁に立てかけ、老人は手にしていた手袋を外した。沈黙の広がる中、は彼がロッカの言っていた祖父なのだろうと予想だてした。 「おじいさん」 「あぁ、ロッカ。話はリューグから聞いとる」 そう言って、老人は大きな足をリューグのように威厳ある動きをさせながらとロッカの元へと歩み寄ってきた。わざわざ向かってもらうのは悪いと、は立ち上がろうとしたが、それをロッカがの肩を押して制止させた。振り返って、表情を伺えば彼は弟のリューグの様に眉を寄せていた。 「駄目ですよ。その足で今、立ってしまっては」 そうしてなすがままに、椅子に座っていると、老人が目の前にまでやってきた。大きな彼から見れば、椅子に座るはどんなに小さく映るのだろうか。 「足を怪我してしまったそうだな、お嬢さん。何、こんな家でよければ怪我が良くなるまで居座ってもらっても構わんよ」 「そんな――ご迷惑になるようなことは出来ません!」 「その足でそれを言うのかよ。せいぜい二、三歩歩いてこけるのがオチだろう?」 そう言って、老人の後ろから現れたのはリューグだった。 「あんたが村で倒れて、俺たちが人でなしだと思われたらたまんねぇ、そっちの方が迷惑んだよ。大人しくその足を直して出て行くことだな」 「…リューグ、さん」 それはつまり、足の治療が終わるまでここに居れということなのだろうか? まさか、リューグの口からこんなに労わる台詞が出ると思っても居なかったは無言で彼を見つめた。だが、リューグは訴えかけるような彼女の視線を感じ――逆に迷惑そうだとでも言いたげにため息を吐いて、そっぽを向いた。どうやら彼はロッカのように友好的に、という考えを持っていないようだ。 「あいつも、そう言っておる。なに、足の支えの杖ならいくらでもあるから。それを持ってロッカと村を探索にでも行ってくるといい」 「そうですね、行きましょう。さん、村まではそう遠くないですから」 そういって気分転換という言葉に踊らされて私はロッカとアグラの言葉に了承の意を込めて頷いた。その後アグラさんは宣言通り物の数分もせずに、立派な木製の杖を私に用意してくれた。どうしてこんなに、この人たちは親切にしてくれるのだろうか。と、疑問に思ったが、それはやはりここがリィンバウムだからだろうかと、私は思った。 ちょうど踝から下を包帯で真っ白に染めた私は、簡易なサンダルを履いてロッカと共に村に下ることにした。この家は村でも外れの方の随分小高い丘に設置してあるため、村へ行くにはそこを乗り下ることになる。血で染まっていた服も、代わりにロッカから借りることになった。それを着たときのガブガブな私の容姿を見て、部屋の隅に居たリューグが鼻で笑った声が今でも耳に残っている。 「丘だわ」 「えぇ」 の呟きにロッカが頷いた。 「ここは山というよりも緩い傾斜で出来てる道ですから」 なるほど、そうか。と、思いながら、は立ち止まりその正面を見つめる。 視界には青と緑の面積が大半を占めており。所々に雲や村にある家の屋根の色が意識に入る。澄み渡った空気を吸えば、どこか胸を締め付けられるような気持ちになった。それは傷が痛みを訴えることよりも、つらい痛みなのかもしれない。いやきっと、そうなのだろう。 この景色は私がこの世界に始めて来た場所に似ている。 「なぜ――貴方は」 その声に後ろを向ける。ロッカがこれ以上は言ってはいけないと悟ったのか自ら口を噤んだ。 『なぜ――貴方はあそこに居たのですか?』 彼が聞きたいのは――きっと。そういう事だろう。 「私、この世界の人間じゃないのよ。召還されたらしいの、誰かは知らない人にだけど」 さぁ、っと流れるように風が吹き、彼女の髪を緩やかに揺らす。三年間という月日をかけて、彼女のそれは艶やかに美しいものへと変化していた。 「でも幸せだったの。私を育ててくれた人はとても優しかったから。それに、その人とてもかっこよかったのよ」 彼女の風に吹かれる表情を見て、ロッカは思う。 この人は泣いてしまうんじゃないだろうか――?と。けれども、彼女の瞳から雫が落ちることは無かった。彼女はうっすらとした笑みまで作ってロッカに全てを語った。 「だけど、その人は去って行った。そして私は置いてけぼり。私はこの世界に来て彼以外を知らないから――置いてかれたことが、悲しくて、悲しくて一人森を彷徨っていたら、またいつかの様な感覚に襲われて、今度は血だらけであの森に居たわ。どうしてでしょうね?近くに村なんてあるはずも無いのに――どうして――私はまた、来てしまった。私の世界で無く――リィンバウムに」 淡々と語る彼女を見て、ロッカはその淡い茶の瞳をすっと細めた。 「悲しいの、ですか?」 考えるように少女は深く息を吸った。 「悲しいけど――それでいいのよ。きっと。私は未練がましいから元の世界に戻っても、こちらの世界を思い出すに決まってる」 「――僕や――リューグに協力出来ることがあれば言ってくださいね。おじいさんも、貴方のことを気に掛けてましたし、きっと力になってくれますよ」 「うん――ううん、でもきっとそこまでへこたれないわ。"あの人"を見つけるまでは、一人でも頑張れるようになりたいから」 "あの人"という言葉を聞いて。ロッカは顔を顰める。 会話から察するにその人はおそらく彼女を育て、そして置いていった人だろう。だが、置いて行かれたその身で、一体彼女はその人に何を求めるというのだろう?いまさら、何を? 「あ」 深いことを考えている中。突然、ロッカはあることに気付いた。 彼は後ろに居るをばっと振り返る。突然振り返った彼にはビクリとしたが、彼の顔は真剣そのものだった。 「聞いてませんでした!」 大きな声でロッカは言った。彼のその行動に、は「へ?」と呟き、一歩後ずさる。 「あなたの名前をです!そうでした、どうりで何か忘れていると思っていました。それで、お名前は?」 「あぁ、そういえば――言ってませんでした。、と言います。気軽にとでも呼んでください」 「そうですか、それではさん。連れて行きたいところがあるんですが、これからでもいいですか?足が辛い様なら無理じいはしませんけど」 「辛いなら……?ううん、大丈夫よ。おじいさんの杖で結構負担は少ないから幾らでも歩けると思うわ」 「よかった。行きましょう、早く貴方に会わせてあげたい子が居るんです」 「会わせてあげたい?」 少しばかりロッカの歩みが早まるのをは感じた。彼はよほど、私をその人に会わせたいのか――その人に私を会わせたいのだろう。 「それは、誰なの?」 淀み無い彼の澄んだ青の髪を見て、は再び問いかける。すると、ロッカは顔を斜めにして彼女を振り返る。ひどく綺麗な笑みを見せて、ロッカは言った。 「アメル。僕のもう一人の兄妹です」 何と無くはだけれども、あの子に会えば彼女の落ち込んだ気持ちも少しは良くなるのかもしれない、とロッカは思ったのだ。 ロッカが案内した場所は、彼らの家とは間反対の方向の村の外れにある家だった。さほど遠くも無い場所だということが、この村は小規模なものなのだろう、と推測できる。家はロッカ達のものとはまったく異なっていた。真っ白な壁が高くそびえており、一見すれば貴族の本邸とまではいかなくとも、小さな別荘くらいには見えないことも無い。そして、何より異様な光景だったのは。 「人が沢山……」 見たままの光景をぼんやりと確認するようにが呟いた。そう、この白い家の前には何百人とも見える長い人が行列を作っていたのだ。確かにここまで来るときに、小さな村の割にはいやに人が多いな。とは思ったが、まさかこんな場所へ向かっていて、そこへ私が連れて来てもらえるなんては思っても居なかった。 「あぁ、ロッカさん」 暫くその家を見ていたと隣に居たロッカの近くにこの家の警備員であろう身なりの男がやってきた。ロッカはそれに気付き、男に短く挨拶を返す。 「やぁ、調子はどうだい」 「はは、俺たちはいいですよ。客も増える一方で――大変なのは、それよりも"聖女様"でしょう」 「聖女?」 聞きなれない言葉を聞いて、は小さく首を傾げる。警備員風の男はその言葉に、ゆっくりと視線をに向けて、そしてロッカに戻した。まるで、今になってに気付いたとでも言うような反応だ。 「ロッカさん。この娘は、」 「あぁ、ちょっと事情があってね。今うちに来ていただいている――それよりも、今アメルは手が空いているかな?この時間は休憩時間だったと記憶しているんだけど」 「ええ、先ほど警護の者を連れて出て行くのを見ましたよ。たぶん、また、森の方へかと」 「ありがとう、それじゃぁお仕事頑張って」 ぽんっと男の肩を叩き、ロッカはを引き連れてその場を後にした。 何となしに、思った疑問をはロッカに尋ねてみた。 「今の人は、お友達なの?」 「友達――いいえ、同じ職場のものです。自警団の」 その言葉には目を見開いてロッカを見る。あの温厚なロッカが――自警団だって? 「一応僕は責任者にあたるものなので、といっても肝心な働きにおいてはリューグの方が僕よりも上を回るでしょうがね」 「……凄い」 それは――つまり、それなりの能力とこの人柄でロッカは今の地位に上がったというのだ。その理由に納得したかは分からないが、は彼の言葉を聞いて違和感に代わりしっくりするものを感じた。 「凄くなんか無いです。あの子に比べれば、ぜんぜん」 笑って言ったロッカだけれども、すごく疲れた笑顔にそれは見えた。"あの子"とは、話から察するにロッカの妹だという子のことなんだろうけれども。さきほど警備員が口にしていた"聖女"とは一体何なのだろう? ロッカの背中を着いて行けば、気付けばそこは森の中だった。沢山にそびえる木を見上げると、間から白い日差しが容赦なく打ち付けるので、は手を仰ぎ――光に目を細めた。 「すみません」 「あぁ、ロッカさん!」 声に気付き、ふとそこを見ると先ほどのように防具を纏った自衛団員らしい男が居た。彼はにこりと笑うロッカを見て、慌てて敬礼をした。 「アメルは居るかな?警備は僕で受け持つから――少しここを後にしてくれると嬉しいんだけど」 「はぁ、ありがとうございます。アメルさんは、この茂みを抜けた先におります」 そう言って男は礼をする帰り際チラリとを見て、ついでとばかりに小さく礼を返してくれた。随分頭の低い男性のようだ。もくもくとロッカは茂みを掻き分けて行った。茂みの前に別の道も見えたので、そこから目的地にまでいけるようだが、ここはどうやら近道のようなものらしい。 『そっちじゃないわ』 突然、声が響いた。は、はっと顔を上げ目の前で草を掻き分けているロッカの服の裾を掴む。 「さん?」 「声が、…」 「声…?」 ロッカは眉を寄せて、の言葉の意味を探ろうとした。だが、は彼が言葉を続ける前に声の聞こえたと思われるほうへ顔を向け、そして指をさす。 「こっち」 「え?」 「こっちに居るの」 はそうして指さした手を戻し、ロッカの手を掴んだ。突然の彼女の行動にロッカは訳が分からないといった風だ。だが、はそんな彼をお構いもせず手を引き道を横にそれて行く。 暗闇の空間に、一刺しの光が当たるようだった―― それは、とても神秘的で、けれども間違いなく現実のもので。茂みを分けた場所に広がる小さな花草の畑に、一人の少女が佇んでいた。背中しか向けていないが、光が射す中彼女の背に有る長い髪の毛が――綺麗に透けて茶色く写るのに思わずは目を奪われてしまった。 そして瞬間、分かった。 この少女が"ロッカの妹のアメル"であり、"聖女"だということが。 「アメル!」 ロッカが呼びかけると、その茶色い髪がふわりと揺れた。振り返った顔はあどけない少女のもので、彼女はロッカとを見てやんわりと茶色い瞳を細めた。 |