第四訓 三人寄れば文殊の知恵

 霄太師の超梅干騒動やらなんやらで好き放題にしているような王は、けれどその笑顔の裏にどこか寂しさを漂わせていた。そしてそのことにいち早く気づいていたのは誰よりも彼の近くにある双花菖蒲を携わった二人の男だった。
「特効薬が宮内をうろついてると知れば彼は暴れまわるだろうね」
「間違っても言うなよ」
 あいつもそれを望んでない――と言う絳攸の言葉に楸瑛は薄く微笑した。昨晩聞かされた――人手不足をしている文官の部署を立て直そうという絳攸の案で秀麗を男性として宮中にいれることを決めたとき、楸瑛は別段反対することはしなかった。
「わかってるよ。そういった"けじめ"をうつけるのは彼女らしい。だけど、意外だったね。秀麗殿。君が日当を言う前に引き受けたんだって?」
「あぁ――秀麗」
 絳攸は頷いて、探るようにちらと楸瑛を見た。
「それと、もだ」

『やりますよ』
 文官として手伝わないかと、自分が問うた時の彼女の返事はそれだけだった――が、秀麗も手伝うと提示しない時点でそう答えた彼女のそれは何よりも重みのある一言だった。

 そして絳攸はに誘いを掛けたことを今の今まで楸瑛に言っていなかった。予想道理にいつもは微笑しか浮かべない顔に少し困惑の色が見え隠れしている。いい気味だ、と絳攸は表情を押しとどめながらも悪態を心中呟いた。
「――秀麗殿のことを言ったのかい?」
「いや。が返事を返して、秀麗もそうするのだと初めて教えた。あいつも秀麗には劣るがそれなりに力があると見込んでのことだ。下手をしてそうでなくとも雑用係になればいい」
「そう」
 絳攸が首を振れば、楸瑛は再び動揺したように視線を動かした。だが絳攸の視線がそこに向かっていると気づくや否、直ぐにその色を消してまたいつものように微笑むのだった。そして、絳攸もあえてその先を聞こうとは思わなかった。
「もしかして――彼女、もう働いてたりする?」
「秀麗と一緒に愚痴も言わずよく働いてくれて助かると景侍郎から礼を言われた。燕青も遠慮なく扱き使われている――それに――も"花"を受け取ったんだ。莫迦王とは思っていても忠誠の気持ちもあるのだろう。秀麗のことを聞かなかったということは――国を思って文官の任務を引き受けたんだ」
「白薔薇の花、か」
 何よりも純粋で、何よりも清い――彼女の王から賜ったそれは何よりも穢れなき花。
 だが、いつも王についている楸瑛や絳攸と違ってが花をもらったことは朝廷でも知る人は少ない。おそらく知っているのは王とその側近の自分達そして花を渡した侍郎――もしかしたら霄太師も知ってるかもしれないが――どちらにしろ劉輝はそれを広く公表しようという意思はないようだ。
 その選択は間違ってはいない、と楸瑛は思う。自分と絳攸のように縛られたものだけでなく、自由に動ける駒も必要なのだとわかっている――けれど。楸瑛は黒い瞳を隠すように瞼を閉じた、その暗闇に一瞬一人の少女の顔が浮かんだが気のせいだと思うことに勤めた。それは彼なりの矜持であった。

***

 その十日ほど前。
「いやー、便利な品が有るもんだ」
 じろじろと上から下までを眺める燕青を見て、は思わず溜息を吐いた。居候をしていくという間柄なので指輪のことは隠しておけないだろう――何よりあの静蘭と旧知の仲だから信頼してもよいだろう――そう判断したはいつかの楸瑛や絳攸と同じように内密にということで燕青に指輪の秘密を教えたのだが、実際に目の前で起こった出来事に彼は目をぱちくりと見開きして驚いているようだった。
「もう、完璧!!あんた男にしか見えない」
 は拳を握り締めた。そしてそれを燕青にぶつけてやろうか悩んだ挙げ句――それはそれで莫迦らしいと判断して止めることにした。
 はちらと秀麗のほうを見た、自分と同じ男物の服装と髪型をしているが、彼女にはの指輪のように絶対的に男になれるものが無い。心配そうに様子を確かめたが、彼女の侍郎姿は中々に少年らしかった。
「秀麗様もばっちり大丈夫ですね」
――貴方まで…」
 一瞬落ち込んだように顔を伏せた秀麗だったが、にこにこと笑う家人の顔に直ぐにそれは回復した。彼女は絳攸の方へと駆け寄り、自分たちを案内するように頼みにいった。

「それで、戸部尚書ってどのようなお方なんですか?」
 頭ひとつ分高い絳攸の後をしっかりとついていく秀麗、その後に立ちなぜか根を片手に物珍しそうに辺りをきょろきょろとしている燕青。はその燕青の後ろに立っていた。
 秀麗の質問に絳攸がたんたんと切り返すが、は「黄奇人」という奇妙な戸部尚書の本名以外あまり彼の言葉が耳に入っていなかった。それというのももう一刻ほど経ったというのに絳攸の案内で自分達が戸部とはまったく正反対と言ってもいいほどの場所に居るからだ。は長く朝廷に務めていたこともあって戸部も大体の位置は把握している。だが絳攸は文官という仕事上戸部の位置を正確に把握しているだろう、もしかして秘密の近道が――そう思ったは中々絳攸にその事を言い出せずにじっと後ろで黙っていた。
「しかし、吏部侍郎さんよ。4半刻でつくって言う話だったけど、もう一刻にはなるぜ。まだつかねーの?」
 ――燕青の言葉にぎろっと犯罪者のような危ない目つきで絳攸は振り返った。額には少なくは無い汗をかいており、それが彼の心中の同様を明らかにしていた――もしかしなくても(数ヶ月前に初めて絳攸に会った時から感じていた)の予感は当たっていたのかもしれない。
戸部はいつ引っ越したんだ――!!
 絳攸は叫んだ。
 あぁ、やっぱりそうだ――そうしてを含め三人は絳攸の超絶的な方向音痴を身をもって体験した。だが、これ以上絳攸が無茶をしてはいけないと思ったは彼の矜持を傷つけないよう最新の注意を払いながらも、何とかそこから切り返す速さで戸部まで三人を案内した。
「時間を守れぬなど問題外だ。さっさと帰るがいい」
 の案内があったもの大幅に遅れて到着した四人に黄尚書は躊躇うことなくきびすを返した。彼の部下である景侍郎と、遅れた原因の絳攸が必死で間をとりなす様はかなりの見ものであったが、残された三人は唖然と黄尚書を見つめていた。
「(確かに、奇人かもしれないわね……)」
 戸部尚書、黄奇人――彼は仮面をかぶっていた。

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