第三訓 月光 帰ってきた邵可を加えてその日の夕食はとても賑やかなものとなった。は胃がちくちくと痛むのを我慢しながらも藍楸瑛から一番離れた席に座ることを条件にしてその席についていた。「燕青君だったかな?貴陽にはどのような御用でいらしたのかな?」 邵可の言葉に燕青は丁寧に事を述べた。ある人に会いにきた。だが、その人は中々会うのが難しい人なのだと。もしそれが身分の高い意味での難しいなら、こちらの二人に相談すればいい――彼らは主上つきの家臣だから。とやんわり言う邵可の言葉に、燕青は「ほぉ」と感嘆の息を漏らした。彼からしてもこの若さでの主上つきというのは想像も出来ないほどのものらしい。それだけ優秀な者たちなのだな、と絳攸と楸瑛に値踏みするような視線を向けながら燕青は邵可に考えておきます。と、にこりと返した。 「茶州から来たのよね?茶州はどんな所なの?」 今だ紫州以外の州へと出た記憶が無いは単純な好奇心から燕青にそう問いかけた。だが、燕青はあまり楽しそうに無い風にその声に苦笑した。 「今は、あまりいい所とは言い難いね。山賊盗賊がうようよとしていて、この紫州にも入り込んでいるようだし。観光にはお勧めしないぜ」 「…やっぱりね」 遠くのほうではあっと楸瑛が溜息を吐いた。彼はちらと、遠くに居るに一瞬、そして目の前の静蘭に視線をやった。 「聞いたろう。静蘭、もう少し考えてほしいのだけども」 その声に料理を運んで来た秀麗が、何のお話ですか?と首を傾げた。彼女の問いに楸瑛が静蘭に一時的に羽林軍として茶州から来る賊退治を手伝ってほしいのだ、という旨を説明するとそれまで極力楸瑛を見ようとしまいと努力していたが「えっ!」と顔を上げた。 「殿は駄目だよ」 「ど、どうしてですか!」 「その顔では私も静蘭と、と考えているね」 の顔を見て、楸瑛はつっと目を細めた。それなら、とばかりにが反論を返す。 「羽林軍の仕事は宮中警備だけなのでは?」 「今は猛暑で人手が足りないのだよ。しかし、文官がばたばたと倒れる中でも武官は無駄に体力がある分ありあまって元気でね。特に我々の軍は。それゆえ城外警備のお手伝いというわけです。わかりましたか?」 「なら――どうして静蘭なのですか?私も静蘭と共に主上の警護をした身ですよ」 「そうですね。だが貴方は静蘭よりも弱い。ならば、貴方ではなく静蘭だけが選ばれても何ら不思議ではないと思うのですが」 が静蘭よりも武術が劣るのは事実だった。けれど武芸大会で四位に駆け込んだ自分だ。曲がりなりにもそこらの盗賊にも負ける気はしない。しかし、冷静に食後の茶を啜る楸瑛を見る限りそれを聞き入れてくれる様子はまったく無い。は机の下でぎゅうっと拳を握り締めた。 「大丈夫ですよ」 ふと掛かってきた声には驚いた。そこにはにこりと微笑む静蘭が居る。 「すぐに戻ってきますから。夕飯までにも帰ってきますし。私のぶんまで今までの仕事を頼みます。それに日当金五両が出ますから」 「…あの、静蘭?」 その言葉に楸瑛は明らかに動揺した。静蘭の言葉は先ほどの彼の契約とは大いに異なる金額だった。 「何か?」 公子一優秀と歌われていたその男の微笑みに楸瑛は押し黙った。秀麗とと邵可。この三人の居る前で下手なことを言えばこの男は何をするかわからない。 「お嬢様。ご飯美味しかったです――」 わりと自然には立ち上がった。少し早い退席に秀麗が少し心配そうな視線を向けるが、はそれにも気づかないように室を去っていった。 逃げるように室を去ったは庭先へと出て行った。月光に照らされながらもその庭先はその光を反射させる薄色の花も咲いてないためとても暗かった。は何かに誘われるように屋敷の奥にある、枯れた桜の木の方へと歩み寄った。 疲れた時、どうしようもなくつらいときは昔からその木の根元で蹲るようにして時が去るのを待っていた。目が覚めても事態は何も変わるわけではないのだが、それでもこの明るい思い出を残した桜の木に縋れば何か変わるような気がしていた。 幾分そうして居たのかはわからない。 半刻かもしれないし。もしかしたら一刻かもしれない。 とにかく、ぼうっとしていたは聞こえてくる足跡にはっと意識を覚醒させた。けれどもこんな子供らしい落ち込んだ姿は見られたくないという矜持もあって、は蹲ったまま顔を上げることが出来なかった。 「風邪引くぞー」 顔を上げればそこには燕青が居た。は彼の視線を避けるようにふいっと顔を下にやった。 「よっこいせっと」 「……燕青」 隣に座りだした彼には顔を歪めたが、彼は気にした風も無くへらへらと笑っている。 「あー、今日はいい月だなぁ」 「……」 「そう、拗ねんなよ」 「…拗ねてませんよ」 恨めしそうにが顔を上げて睨みつけると、燕青は苦笑した。大体なんで今日来たばかりの男がここに居るのだ――はさらに不審者を見る目つきで燕青を見た。 「あ、おれ。今日からここで居候させてもらうことになったから」 「はい?」 「そういうわけでよろしくー」 問い返すまでも無くずばずばと進める燕青には何もいえなかった。先ほどの様子から浪燕青は静蘭の知り合いで見た所も害のある人間には思えないが…。 「あんたはさ、悔しいんだろう?」 変わらぬ笑顔で出された燕青の言葉には一瞬身構えた。彼の言葉はずばりの心中だったからだ。 「さっきの、藍家の将軍さんが静蘭だけに仕事を任せたってのが。静蘭だけじゃなくて私もお嬢様のお役に立ちたいのに〜って感じで」 「燕青」 それ以上は言わないでほしい、との中で何かが唸った。だがここで耳を塞いだところで何も変わらないこともわかっている。それがわからないほど子供でもなかった。 「だけどそれはただのあんたの我侭だろ」 「それは……そうね、認める」 何かを言いかけては頷いた。すんなりと頷いたに燕青は一瞬瞠目したもの直ぐに口角を上げ優しい笑みを作った。 「そこで頷けるなら上出来だ。弱さを認めるのもひとつの強さだからな。えらいえらい」 がしがしと無遠慮に頭を撫でる燕青に、は「――子ども扱いしないで!」と、顔をがばりと上げた。 「え?譲ちゃんとそう変わんないだろ?」 「私はもう二十過ぎになります!」 「……まじ?」 まじまじと見定めする燕青には痺れを切らせてその場から立ち上がった。その時に気が付いた。先ほどまで胸中を渦巻いていた思いなどもうとっくに吹っ切れている、と。もしかして、この男は――はくるりと後ろを振り返った。先ほどと代わらない柔らかい笑みで燕青はを見上げていた。 「……燕青」 きっと励ましてくれたのだ、彼なりに――あなどれない、とは心中で呟いた。 「さて、そんじゃ。家に戻りますかー。譲ちゃんと静蘭と邵可さんが心配するからな。っと、その前に――」 むくりと燕青は立ち上がったが、ふと気が付くことがあったのか先の木陰の方へと視線をやる。も彼の視線に気づき後ろを振り返った。何かの気配がある。隠れていたそれは木の葉の音を出して、木の陰からすっと現れた。 「吏部侍郎さん。あんたもこいつに話があるんじゃないのか?」 現れた長い影の正体は絳攸だった。彼は気まずそうに眉を寄せた顔で、燕青に礼を返し――小さくの名を呼んだ。 |
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