第二訓 晩餐会 「さて」室に入ってみた光景に、楸瑛は思わず額に手を当てた。彼も少なからず予想はしていたようだが、やはりショックを受けずにはいらいれなかったらしい。 本日のの仕事は針仕事の見せ売りだ。同年代の女性が買ってくれることを狙っているは警戒心をとられぬようにと男ではなく女の姿で売り込みをしていた。普段の朝廷からは想像出来ない女の姿は着飾るような化粧こそされていなかったが、どこか新鮮だった。だが―― 「絳攸。私の目の錯覚かな?姫君が窓から脱走を試みているのは」 「現実を見ろ、楸瑛」 絳攸がすっぱりと言い切った。楸瑛の言葉通り目の前で女物の衣服などものともせず足を持ち上げ、部屋の窓から逃げ出そうとするを見て。 「…何をやってるんですか!貴方という人は!?」 「うわっ!」 静蘭が呆れた声を出しながら、べりっと足を乗り上げたを抱き下ろした。離して、静蘭。と暴れる彼女を見て、楸瑛は自分が原因にあるのだとわかりながらもそ知らぬふりを通した。 「ここは君の家じゃなかったかな」 「えぇ、そうですよ。だから、逃げるのも私の勝手ですよね!」 「理由になってません。その格好で足を上げるのは止めてください!」 再び窓へ行こうとしたを静蘭が押さえつけた。 「いやー、しかし。随分暴れん坊な姫さんだこと」 聞き覚えの無い声が室に響き、静蘭も客人もはっとしたようにそちらを見た。髭伸び放題。服は汚れ放題。浮浪者よろしく不審な人物がさも当たり前のように席に着きもぐもぐと秀麗の料理を食べている。 「あ、いや。すみません――続けて、続けて」 空気が固まったことを気にしてか、そう言って、男はにかりと笑って再び料理に取り掛かった。 だが正直、気にするなと言われても無理な話である。 「お嬢様。誰ですか…これは」 「あぁ、えぇっと――」 名前を呼ぼうとしたもの秀麗は言葉を詰まらせた――そう言えばまだこの男は名乗っていない。 だがちょうどその時、それまで絳攸の腕の中でぐったりとしていた鶏がけたたましい声をあげた。驚いた絳攸の手からするりと身軽に飛び去った鶏には反射的に手を伸ばしたが、何か思うことがあったのか彼女を抑えていた静蘭がその腕を慌てて引き戻した。そしてその直後、微かに風を切る音がしたかと思えば鶏が宙を舞った。 「こちらも随分暴れん坊さんだこと」 男はいつの間にか立ち上がっており、そしてその掌には先ほどまで飛んでいた鶏の足がしっかりと握られている。先ほどの風を切った音はそれとは対象の手にある根の音だろう。 この場にいる武術に優れた三人組は今しがた起こったことに瞠目した。根であの身軽な鶏の足を払いのけ、体制を崩したそれの急所を殺さない程度に打つ――的確で、そして常人には目で追えないほどの素早さ。並の男でないのはすぐ見てとれた。だがそれを見抜いたに気になったのは彼の所作ではなく、言葉のほうだった。 「だ、誰が暴れん坊ですって…!」 「――誰なんですか、あなた」 突っかかろうとしたをさっと自分の後ろにやり、静蘭は表情を険しくした。静蘭のその表情が予想外だったのか、男はぱちくりと目をしばだたせた。 「え?何、そう怖い顔をして。ほら、トリくんだよ」 はいっと差し出されたそれを変わらぬ表情で静蘭は受け取った、その静蘭の顔を見て男は髭のある顎に手をやりはて、と首をかしげた。 「…その顔、」 「は?」 先ほどから静蘭らしからぬ声が聞こえるのには驚いていた。この男はどうやら静蘭の中で完全に不審人物に位置づけされているらしい。 「あっ、いやいや……間違いでなければ…もしかして、『小旋風』?」 彼の背中に居るでも、とたん静蘭の空気が変わったのがわかった。だががどうしたの、と問いかけることも無く静蘭は楸瑛に鶏を投げ出し、絳攸にを投げ出し、その男の胸倉を掴み上げ室の外へと放り出した。暫く青い顔で考え込んだ後、静蘭も室を抜け出た。後に残った四人はわけがわからないとばかりに顔を見合した。一体どうしたというのだろう? 「様子を…」 元々彼を拾ってきたのは自分なのだ。責任を感じは呆然と自分を支えた絳攸から身を離し、静蘭の後を追おうとすれば秀麗も「私も」と後を追ってきた。 「静蘭?」 顔を覗かせば暗闇でもびくりと静蘭が動いたのがわかった。見ればあの髭モジャ男の胸倉を掴みそこらの破落戸のように壁に押さえつけている。一体何があの静蘭を怒らせたのだ!は青い顔をして問いかけた。 「静蘭。ご、ごめんね」 静蘭は首を回してにこりとに微笑んだ。まさに天使の微笑みなのだが、どうにも力が篭っているのが不自然だ。 「いいえ。のせいではありませんよ。ですが、こんなものを拾ってはいけません。幾ら落ちてたからといって」 「でも餓死直前って感じで…」 「そうそう、疲れてたみたいだし」 秀麗もの隣で頷いた。 「ははは。お嬢様まで。それはありません。この男は死にません。絶対に。ですから、今から捨ててきましょう」 静蘭のこんな姿は初めて見た。焦ってるというか、なんというのか。あぁ、でも喧嘩するほどなんとやらとも言うし――ははっとした顔で静蘭を見た。 「もしかして、友達?」 「ちがいます」 静蘭は即答したが、男は頷いた。 「そうそう。お友達!な――えーっと、静蘭…だっけか?」 静蘭が押し黙ったのを見て、秀麗は取り合えずご飯にしましょうと提案した。納得いかない様子の静蘭を引き連れて男は再び食卓へと戻ろうとした。 「?」 秀麗の声にびくりと抜き足でそのまま立ち去ろうと考えていたは立ち止まる。ゆっくりと首を回せば秀麗ははあっと溜息交じりに彼女を見た。 「大丈夫よ。ご飯を食べるだけじゃない」 もちろん秀麗の言葉には逆らえるはずも無い。しぶしぶと後を追うをちらと見ながら秀麗は一体藍楸瑛はこの娘に何をしてくれたのだろうか、と初めて少しばかり気になった。 |
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