第十五訓 目覚め ――皮肉なものですね、と闇の中でその男は言った。「あなたの計画は、あなたの良心によって狂ったというわけです」 男の言葉に彼――茶太保は首を振った。まるで男の全てを否定したい、という風に。そして懐のうちにある手拭に手をやり男のいう言葉の人物を思い、再び首を振るのだった。 「馬鹿な…珠翠は、」 「それが私の知る兇手ならば――間違いなく"風の狼"です」 「お前が、」 男の言葉に茶太保の目が動揺に震えた。だが、その瞳は次の瞬間確信に光を映した。 「そうか!お前が…"黒狼"。であ、あいつはまた私を――私はまたあいつの手のひらで踊っていたというわけか!」 狂ったように茶太保は笑い、そしてその目で男――邵可を見た。 「貴様も身を滅ぼす気なのか?公子を拾い、そして"あの娘"を拾い――その火の粉はいずれ我が身にかかることと知ってのことか?」 邵可は頷いた。その行動に一片のためらいも無く。彼――茶太保もまた自分と同じことをした人物であると知っていて。 「静蘭との本当の名が何であろうが、私はあの子たちが愛しい。それだけです」 「言ってくれる――ならば、連れて行くがいい」 茶太保はそう言い、邵可の隣をすり抜ける。老いぼれた足取りで行くその背中を邵可は振り返った。 「お前にくれてやる命ではない」 背中で茶太保は、そう一言残した。邵可は数秒それに哀悼のように瞼を伏せ、再び室の中を振り返った。血まみれの室では静蘭と、それに抱きかかえられるようにうずくまっているが居る。屈み込み、静蘭とその腕の中のを見て邵可は眉を寄せた。 「二人とも無茶をする――だけど、よく守ったね。静蘭」 そうして静蘭に応急処置を施し、邵可は彼らをそこに残して立ち上がった。このまま放って置いても彼のよく知る羽林軍が来ると知ってのことだった――邵可はそうして次の目的地へと向かった。 ぼんやりと開いた瞳で確認できたのは藍色の服だった。 「まったく――」 あぁ、これは――は無意識にその人影に手を伸ばした。するとその人物は硝子細工を扱うかのようにやわらかく伸ばされたの手に触れ、そっと握った。厚い、大きな手。掠れた声で思い浮かぶそれを呼ぶ。 「藍――将軍?」 「そうだよ」 見知った人物に安心し、はほうっと寝台の上で浅く息を吐く。だが次の瞬間思い立つことがあるように目を見開き、がばりと上半身を起こし大きな声を上げた。 「――秀麗様は!!静蘭は!!」 自分のことなどそっちのけで人の心配をする少女。楸瑛は、けれどそれが彼女らしい、と思った。 「まったく、君は――どこまでも忠実な家臣だね」 困ったように笑い、楸瑛はぎしりとの眠る寝台へ腰を下ろした。 「一応無事だよ。生きてはいるし、死ぬ可能性はまず無い――そして、君の心労に配慮して私はここまでしか教える気は無い」 「怪我を?」 「静蘭が少しね。けれど彼は君を立派に庇ってくれた」 楸瑛の言葉に、けれどは顔を青ざめた。静蘭が怪我をした?それも、私を庇って?彼女が自分の言葉を聞いてどう思っているのか、楸瑛はその表情から読み取った。 「馬鹿な事を、と思ってはいないだろうね?君は素直に彼に感謝しておけばいい――それでこそ静蘭も怪我をした報いがある」 「ですが、」 不意に伸ばされた指に、は言葉を飲み込んだ。 さらりと梳かれた髪を潜って、楸瑛はの頬に指を当てた――そう云えば、あの指輪はどこへ行ったのだろうか。 「君は自覚が足りない。自分が女性だということをわかっているのかい」 楸瑛はそうしてもう片方の手の指での顔周りの髪を耳にかけてやった。彼女が自分で作った傷は、その白い肌に不自然に一本走っていた。赤い線――楸瑛は傷を見て眉を寄せ、その長い指でそっとなぞった。 「――っ!」 痛みにが小さく身を引いても、楸瑛は彼女を離そうとはしなかった。強い瞳で、じっと女を見続けた。 「男でなければ秀麗殿を守れないと思っているのかい?絳攸のように聡く、静蘭のように強くなければ――自分は決して秀麗殿を守れないと?」 は何も云わなかった。そして、まっすぐな彼の瞳を避けるように下を向き、悔しそうに唇を噛んだ。 「殿。誰よりも強く――その努力は評価するよ。けれど、自分の身の心配もしたほうがいい。貴方が静蘭と同じように自分を庇い怪我をしたとなれば秀麗殿も良くは思わないだろう。貴方が静蘭にそう思ったように」 「でも、私には――」 「君の守り方も間違いではないだろうね。だが、守る方法など幾らでもある。秀麗殿が悲しまない守り方が、きっと」 「咎めない、のですか?」 間違いではない――そう言う楸瑛の言葉にはふと顔を上げた。 「何故――私に貴方が咎められるでしょうか」 どうしてだか、彼は優しく微笑んだ。 「純粋な貴方は私が幾ら言ったところで自分を犠牲にしてでも彼女を守るだろう――私が言いたいのはね、他を考える前に己の身を捨てるのは間違っているということ。貴方にもっと自分を大事にしてもらいたいということ。でなければ、ほら。せっかくの、綺麗な白い肌が台無しだ」 すっと、の頬から楸瑛の指が放たれた。 そして考えるまもなくの体は楸瑛の腕の中にあった。ふわりと薫る何度目かの香の香り。目眩しそうな――彼の奇行には顔を赤くしてうろたえた。それは、今までの抱擁とはどこか違うものを感じたからだ――。 「忘れないでいてくださいね。貴方は女性なのです」 から身を離し、楸瑛は指輪を彼女の手に握らせた。赤い顔のまま、戸惑った瞳で見上げれば楸瑛は寂しそうに微笑み――そして、惚けたを残して静かに室を去っていった。 |
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