第十四訓 突然は突然やってくる

 ぐらぐらと体が揺れている。
 気持ちが悪い、まるで滑車の上で眠っているようだ。

 もう起きなくてはいけない、とは思った。けれど意識に反するかのように瞳が、瞼が、思ったように動いてはくれない。あぁ、どうしてこんなに眠いのだろうか――上手く動かないからだを操作して、ゆっくりと瞳を開く。
 そこは酷く薄暗く、肌寒い。"ここ"はどこなのだろう。朦朧とする意識の中では思った。
「愚かだな――」
 静まり返った中で、その声は水に落ちた墨のように広がりするりとの耳へと入ってきた。
(静蘭?)
 聞き覚えのある声に、は顔を少し動かした。眼前に二人の足が見える。静蘭と、誰だろう――あの、色の衣は――茶。
「時代はもう動き始めている。貴方がどう私を操ろうとも李絳攸も藍楸瑛も、傀儡になった私には微塵の興味もしめさず貴方ごと突き落とすだろう」
「何を」
 の知らない笑い声が響いた。
「――そしてな、お前が思うほど私もあいつも従順ではない。愚かではない」
「……そのようですな。だが――方法は無くもない」
 きらりとその人物の手中で金色の何かが光った。誰よりもそれを知っているには闇の中でも"それ"の正体をつかめることが出来た。
「随分上手いお芝居でしたね。あいつが言うまで私も気が付きませんでしたよ――殿。否、姫とお呼びした方がいいのでしょうかな?」
 そう茶太保が口角をあげてに視線をやった。彼女が目覚めたことに気がつき、目の前に居た足元がこちらを振り返った。静蘭。口を開き、は振り返った彼の名前を呼ぼうと思ったが、上手くしゃべることが出来なかった。
「いつから――」
 少女は話を聞いていたのだろうか、思い静蘭は動揺に瞳を揺らしたが、それを抑えて首を振った。
「いや――しゃべらなくてもいい。どうか、大人しくして下さい」
「まさか――女を軍に入れるとはな。宋の奴も目が肥えたようだ」
「黙れ」
「あぁ、そうですな――お望みなら、その御方を貴方の貴妃にするのはどうでしょう?勿論、私の孫娘も後宮に。あぁ、ですが殿の――」
「黙れと言っている!」
 その場が再び静まり返る。静蘭の荒い息遣いに気づいた頃には、の目も闇に慣れ始めていた。
「この指輪は保険だったのだが――交渉決裂のようですな」
 きんっと茶太保の手にあった物が床を弾いた。暗闇に浮かんだ一瞬の光。だがそれは見間違うことも無く自分のものだとにはわかった。そしてそれと同時に、「貴方はもう用無し」だと、「交渉決裂」の二つの意味をに感じさせた。
「では、これでは――?」
 茶太保がゆたりと腕を挙げると、指輪が落ちたときとは比べ物にならないガシャリとした金属音が響いた。何が落ちたのか――立ち込めるきつい香の香りにも静蘭も香炉が落ちたのだと気づいた。が上半身を起こそうとすれば、静蘭がそれを押さえ込むように床に彼女の肩を押し付けた。
 ざっと、地面に足音が増える。暗闇の中、黒装束に身を包んだ男たちが口元に香を薫らないようにと布を覆って現れた。
「静、蘭…」
「黙って。いいから、貴方は私が守ります」
 男たちと同じ布を口元にやり、くぐもった声で茶太保は笑った。
「貴方も御存知の通り。人を操る術などいくらでもあります。それに――貴方達の御自慢である主上と紅貴妃様は、今頃はもうお亡くなりになってますよ」
「――!」
 茶太保の言葉に、と静蘭の瞳がかっと見開かれた。
 主上と秀麗様が危ない!
「その二人を捕らえろ――どうしようといい、閉じ込めておけ」
 それを合図に幾人もの男が飛び掛る。静蘭はを背中に隠して、その鋭い剣を振るった。彼の邪魔になどなりたくないのに――薬を飲まされたであろうの体はうまく動いてはくれない。そして、この香もそれと同じ効果なのだろう――

『主上と紅貴妃様は、今頃はもうお亡くなりになってますよ』

 は遅い来る酩酊感の中、静蘭のなぎ倒した男の一人が落とした短剣を手に取った。そしてか震える手ながらも調整して、その刃を自分の顔に走らせた。顔に一筋の血が走り、わずかな痛みに意識が覚醒する。眠ってはいけない、私は秀麗様を守らなくては――鋭い視線で見上げれば既に背中を向けかけた男がこちらを振り返った。
「茶、太保…!」
「本当に、気丈な――ですが少しお休みください。次に目覚めればあなたも王座の隣に座れますよ」
 暗闇で茶太保は笑い、そして踵を返した。
 ふいにぐいっと腕を引かれる。手に持っていた短剣まで取られ、は思わず叫びそうになったが、視界に入る薄い銀髪でそれがすぐに静蘭だとわかった。彼はを再び地面に押し付け、その刃を自らの腿に突き刺した。
 そして隙を与えるまもなく、静蘭はその短刀を茶太保へと投げはなったのである。
 剣の衝撃に、茶太保の足音が僅かに乱れた。
 静蘭の行動に気がついた男たちは彼を押さえ込もうと殴打を仕掛けた。数に圧倒され、もう攻撃を返す余裕は無いもの――静蘭はの背中を覆うようにその攻撃を受け、彼女もろとも意識を無くした。

戻る最初次へ