第十三訓 愛しさと殺意

「主上!!」

 ばんっと、突然扉を強引に入ったその人物に部屋の主の劉輝――そしてそれに使えていた藍楸瑛と李絳攸は驚愕した。それもそのはず、部屋に入ってきたのは彼の現在唯一の貴妃である紅秀麗の家人の一人で、自分の護衛(のはず)の"茨"。そして本来主上付き護衛のはずの彼女はあろうことか主にその切っ先を向けて虎視眈々と歩み寄ってきている。
 こ、こわい――!!
 劉輝は内心逃げ出したい気持ちで一杯だったが、少しでも平生を装うため王座から身を動かさなかった。
「な、何事だ?
「主上…見損ないましたよ」
 李絳攸の静止をまったく耳に入れず、はばんっと劉輝の座る机に手を打った。
「秀麗様を騙していたそうですね!」
「え――あ、あ〜」
 なるほど。その件ですか――助けを求めるように男はチラリと隣の部下、李絳攸に視線をやったが彼は先ほどを止めようとした手はすっかり収めて「それは貴様の問題だろう」とばかりに首を振り、それを拒否した。そっけない家臣の態度に劉輝は項垂れた。
「あの御方は後宮を出ると、つい先ほど朝廷三師に嘆願しに行きました」
「な、何!?」
 がたり、との言葉に劉輝は座席から立ち上がった。
「何故、朝廷から出る事が出来る!?あれは余の妻だろう」
 は眉を寄せながらもやや間を置いて、言った。
「そう――けれど仮の妻です」
「仮、の?」
 そんな話は聞いてない。
 そう、衝撃露にすとんと席に着いた劉輝には上げていた剣先を鞘に収めた。

「私は貴方は当然――けれど、あの方をお守りするためにこの身を投げようと決めています」
 劉輝はの瞳を見た。その黒曜石の如く黒い瞳はどこか躊躇い気に揺れている。
「あの御方がご自分から後宮を辞すときは、私も羽林軍を降ります。今日はそれを宣言しにきました」
「そ、そなたは――花を、うけとったのだろう?」
 忠義の為の、誓いの花。
 その花を受け取ってからまだ彼女はそう日数が立っていない。秀麗の私後宮を出ます発言並みに衝撃的なの言葉に劉輝は戸惑った。
「えぇ。そうです」
 言ってから、はにこりと自傷気味な笑みを浮かべた。
「貴方を守るためにも、私は命を投げ出していいと思います。それだけの価値があると信じているからこそ、あの白花を賜りました。けれど、私にとっては秀麗様の身が最優先なのです。貴方は二番です
「……に、二番?」
「なかなか言いますねぇ」
「……」
 あまりに常識はずれな少女の言葉に楸瑛は噴出し、絳攸は言葉を失った。
「ですから、秀麗様が貴方を殺せと仰れば私は躊躇い無く貴方の首を掻っ切ります」
 掻っ切る――!?
 劉輝は顔を青ざめた。けれど、秀麗という女ならばそれは無いことだともわかっていたので本当の深い恐怖は無かった。
「秀麗は…余を殺さない」
 あれはそういう女だから、と劉輝は思い――ここ数ヶ月過ごした彼女の笑顔を思い浮かべた。
「えぇ」
 は真顔で頷いた。「さっきのは剣は冗談です」と、言葉を添えて。
 だが、冗談にしては性質の悪い話である――。
「秀麗様を泣かせた罰です。あなたにも少しは肝を冷やしていただきたいので。これを期に反省してください」
「だからって、王に剣を向ける奴がいるか…」
 先ほどから冷や冷やと状況を見守っていた絳攸は、けれど沙友里が剣を鞘に収めた時に内心ほっと胸を撫で下ろしていた。

***

「――と、言ってきました」
 事の次第を述べたに、秀麗は唖然と口を開いた。昔から自分を守るためには他にまったく容赦ない彼女だが、まさか王にまで剣先を向けるとは――下手をしたら罪人になったかもしれない(劉輝はもちろんそうはしないだろうが)行為を『どうです?やってやりましたよ。褒めてくださいね!』と、ばかりに宣言する家人にさすがの秀麗も驚いた。
「貴方って……ううん。もう、いいわ」
 自分が言っても何も変わりはしないのだと、頭のいい秀麗はわかっていた。だから思った言葉を飲み込んだ。
 は今、秀麗の過ごす後宮の一室に居た。普段は男性禁制のその場なのだが、は(中身は)女である。暇つぶしにお話でもしましょうという秀麗の言葉に、は二つ返事で了承して今に至る。
 ガチャン――!!
 部屋の入り口で聞こえたその音に、秀麗ももはっと顔を上げた。そこには顔を真っ赤にした、まだ幼さの残る少女がふるふると震える盆を持ちと秀麗に忙しなく視線をやっている。先ほどの音はその盆から落ちた茶器の割れた音のようだ。地面に落ちている紙魚と破片を見て、はすくと立ち上がり、駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
「あ――も、申し訳ございません!!」
 小さな体からは思いもよらない声の大きさには面食らったように固まった。が落ちた破片に手を伸ばせば少女は顔を真っ赤にして我先にと手を伸ばす。
「私が――!!あぁ、でも――あの」
 一見青年武官のを見て、貴方は誰ですかという視線を投げて少女は顔を伏せた。それを見ても首を傾げるに見かねたように、秀麗が「香鈴」と少女を呼んだ。
「その人は私の家人――茨。今日は朝から珠翠と貴方が居ないようだったので話相手になってもらってたの」
「そう、だったのですか…」
 香鈴は言ってから、確かめるようにをちらと見上げた。おどおどとしていたその様子は何だか可愛らしく、はにこりと笑顔で返してあげた。だが、その笑顔を見た途端に香鈴は再び顔を真っ赤にして秀麗に視線をやった。
「そうですよね!紅貴妃様には主上という方があらせられますから――ああ、私ったら、また――何を!」
 まさにあたふたと言った様子で香鈴は何度も礼をする。その発言と行動から察するにどうやら と秀麗を恋仲の男女と勘違いしたらしい。
「香鈴――というのかな?この茶器は私が直しておきすから、あなたはどうぞお気になさらないで下さい」
「で、ですが!」
「それなら、私もお茶を頂きたいですね。秀麗様の分と含めて――お願いできますか?」
「は、はい!」
 の言葉に香鈴は勢いよく頷き、ばたばたと忙しなく退出した。
「可愛いものですね」
「えぇ、とってもいい子よ」
 秀麗はけれどその後、何か伺うようにちらりとに視線をやった。その視線を受けて「どうかしましたか」と、彼女に問えば秀麗はやはりどこか疑うような半目のままで言ったのだった。
「貴方。今の色男ぶりは藍将軍にそっくりね」
 紅貴妃の一言に、再びがちゃりと茶器が割れた。

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