第十二訓 この手に掴めるもの 李絳攸と藍楸瑛に自分の正体を告げたと正直に告白したときの、静蘭の反応は予想に反してなんともあっけないものだった。「そうですか」 その一言。が何も言わないのか、と問えば彼はそうですね、と頷いた。 「お嬢様が良いと言ったのでしょう。それなら、私も文句は言いませんよ」 ふいと顔を逸らした彼に、は――何を馬鹿なことを――と、怒られるものだと予想していたぶん安心したが、同時に拍子抜けした。そして、彼は本当にそれ以上何も言わなかった。 廊下の先で見知った背中を見て、はふと顔を上げた。 「あぁ、李侍郎……と、藍将軍」 が駆け寄れば、背の高いその背中はふいにその声を振り返った。右にいる藍色の服をまとった男が少女の呼びかけに小さく首を傾げた。 「その間はなんだろうね、私としてはとても気になるのだけど」 「さぁ、ご自分の胸に手を当ててよく考えてください」 にこり、と笑顔で返すに楸瑛の隣に立つ絳攸も彼を見て嘲笑的に笑った。 「自業自得だ」 「殿は、あいも変わらず手厳しい」 あの日を境に、楸瑛はこうして正体を知るものの間ではに"殿"と、敬称をつけて呼ぶようになっていた。絳攸が名前で呼ぶのとは対照的にどこか他人行儀に聞こえるその敬称は、けれど自分を女性として扱っているような気がしてはあまり好きにはなれなかった。 「これからどちらへ?」 「府庫だ」 絳攸はそう言い、右手にある分厚い書物をの眼前に持ち上げた。主上と秀麗を交えての絳攸直々の朝廷講座は今だ行われているらしい。あれから幾日もたった事だし、さぞや秀麗も主上も知識を深めただろう、絳攸の苦労を思いは「ご苦労様です」と小さく述べた。けれどその淡々とした言葉に絳攸は不機嫌を隠す気配も無く眉を寄せた。 「前から思ってはいたのだが――お前も来てはどうだ。あの秀麗と勉学を励んでいたと聞く。講義についていけないことはないだろう?」 「いえ――」 絳攸の言葉には、けれど謙虚に首を振った。 「李侍郎が思うほど私は優秀な人間ではありません。それに――私は秀麗様を守れればそれでいいのです。それには今の剣を持てる仕事が一番だと」 「一番ね、」 の言葉に楸瑛は少し困ったように笑った。彼女の言葉は真のもので、その曇りの無さが彼には眩しく思えた。 「本当に、あなたは立派な家人だ」 「まぁ、気が向いたら空いた時間にいつでも指導してやる」 絳攸の誘いには「ありがとうございます」と頭を下げた。 「――李絳攸様、藍楸瑛様」 人気のない回廊で響いたその第三者の声に三人は振り返った。 そこに立っていたのは年若い、けれど見知らぬ侍官だった。彼は三人に目を通した後丁寧に礼をし、恭しくその手にあるものを差し出した。 「主上から、お二方へと。言付かってまいりました」 三人は顔を見合わせた。その内の楸瑛がややあって顔を侍官へ向ける。 「これを私達にと――主上から?」 「はい」 迷いの無い青年の言葉に楸瑛は喉を鳴らした。 「これは――予想外だねぇ」 侍官の手中に収まるもの――それは、二輪の花菖蒲。そして王からの花賜の意は、 「大雑把ですね。生花とは、根まで着いてますよ」 傍から事態を見たでも、その花は慌てて拾われたようなものに見える。の言葉に青年はえぇ、と苦笑した。 「私も申し上げたのですが。急ぎゆえ、そこらからさっさと摘んで行け、とのお達しで」 「急ぎ、か――そこは評価すべきだね。根があるのも、ここは根付くと解釈してあげよう」 そう言って何の躊躇いも無く楸瑛は花菖蒲を侍官の手中から抜き取った。驚いたのはと絳攸である。 王から"花"を受け取る、その意味は。 「お前は――」 何か言いかけて、絳攸は口を閉じた。暫く沈黙をしたあと、彼は溜息を吐き、残った一輪を手に取った。 「――主上に承りましたと、伝えてくれ」 「はい!――それと、」 嬉しそうに侍官は微笑した後、二人を避けるように隅で様子を見ていたに視線を向けた。 「茨様――貴方様にも主上から承っているものがございます」 「私に、ですか?」 侍官の言葉に、それまで傍観者で居たはもちろん絳攸と楸瑛も顔を合わせた。 「こちらです」 侍官は袖の陰に隠されていたその花を持ち上げた。白い色が視界に入り、ははっとした。それはあの日の夜、秀麗に花をやりたいという主上にが勧めた白い薔薇だった。 主上からの花を受け取る、それは即ち忠誠を誓うことになる。 よくよく見れば、薔薇の棘は全て不器用にだが払われている――これは侍官の手による作業ではないな――思い当たる人物に、は一瞬困ったように笑みを浮かべ、その花へ手を伸ばした。 「承りました、と」 青年は再び彼らに微笑みを返し、一礼した。 「紫は王家。そして"信頼"の花菖蒲」 藍楸瑛は自分と絳攸の手の内を見て呟いた。 「そして白い薔薇は"尊敬"、"純潔"、"誓い"」 連なるようなけれど異なる三つの意味。 「主上が君に送った言葉は何なのだろうかね」 と、楽しそうに微笑む男はの手中の花弁にそっと触れた。 |
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