第五訓 全く持って不可解なのだよ 「じゃ、紹介するわね。このお方、なんと朝廷随一の才人と誉れ高い人なんですって!」秀麗が明るく紹介する先には、やけに引きつった笑みを浮かべる朝廷随一の才人こと李絳攸が居た。 「やっとお会いできて嬉しいです、主上」 言葉とは対照的に表情は怒りに歪んでいる。感情的な李絳攸を前にして『藍楸瑛』――否、『紫劉輝』は青い顔をして秀麗の影によよよと隠れた。秀麗はそれを気にすることなく素晴らしい笑顔で次は貴方とを振り返った。 「次はのために――なんと左羽林の軍将軍様よ!」 左羽林の軍将軍?李絳攸が現れたときから嫌な予感がしていたは、けれど秀麗の言葉に改めて耳を疑った。 「――やっとお会いできて嬉しいですね」 「ここの所見かけませんかったので」という男に「それは私がお前を避けていたからだ!」と思いっきり叫んでやりたかったが、敬愛する秀麗を前にしてそのような無粋なまねが出来るほどは落ちこぼれては居なかった。ぷるぷると怒りに震える拳を何とか押さえつけて、顔中の筋力を総結集して彼に笑顔を作った。 「よろしくお願いします。藍将軍」 「どうやら私は嫌われてるようだね」 武芸稽古の為訓練場へと足を運ぶ最中、ずんずんと自分を無視して先へと進むを見て楸瑛は憂いたようにそう言った。 「悲しいよ、君に嫌われてしまうのは耐えられないな」 誘いに乗るな、茨! 頭の中で何度もそう繰り返しは訓練場まで一言も彼の言葉に反応を示さなかった。 武道場に降り立ち、すぐさま剣に手を掛けたを見て楸瑛は表情を変えたな。 「気が早すぎないかい。私は一応頼まれて君の講師をしているわけだし。まずは――」 「無駄な講義は好きではありません」 「体で覚えた方が早いです」と、そう返したを見て楸瑛は「そう、」と苦笑した。 「それなら、はじめようか」 武官らしからぬ彼の格好に会わせるように、はここへ来る前に甲冑は全て取り払ってきた。腰にある剣を音も無く抜けば、その整然とされた身構えに楸瑛は「ふむ」と言葉を続けた。 「それじゃ――取り合えず手合わせしてみよう。まずは実力を測っておかなくてはね――かかっておいで」 そう言ったことを楸瑛は後悔した。 「かかっておいで」という言葉から数秒と経たぬうちに、訓練場の端に居たは素早く足元を蹴り上げ彼の顔前に迫っていた。見るものが見るものなら感嘆の息を吐くだろう俊敏さ。楸瑛は表情に表そうとはしないものの驚いた。 なんと言う素早さ。 感嘆しながらも、楸瑛はその剣先をするりと避け自分も鞘に手を掛けた。 しかし彼がそれを抜くより早く、は再び突きを入れる。気が付けば楸瑛の首元にはの刃先が当てられていた。血は出てないようだが、寸前の位置で薄皮一枚を切っているようだ。首に感じる小さな痛みを楸瑛は冷静に判断した。珍しくも、敵の実力を見誤ったようだ。 「まいったね。私の教えなど必要ないのでは?」 彼の言葉には剣を引いた。 「それは貴方が実力を出されていないからです」 そこまで読まれていたか、と楸瑛は思った。武官として名の立つ楸瑛はけれどその役柄と対象するように普段では飄々とした風で、武官らしい格好もしない。『藍家』という名前だけでその役柄に着いたのでは?と疑う愚か者も実際とても多いのだ。無論そう言った者たちほど位が上がらないのだが――にもそう言った飄々しさを装っていた楸瑛は彼女にすんなりと実力を見破られたことに少しだけだが驚いた。 「真面目な指導をされないのなら、この稽古は今日で終わりです。私のほうから秀麗さまにそう言っておきます」 武芸稽古とはいえこの男と何日も顔を合わすのは正直は嫌だった。それというのも先日の"抱擁騒動"があってからは彼の姿がちらとでも視界に入らぬように避けてたほどだった。 「君は本当に面白いね、ますます興味が湧くよ」 「湧かないで下さい。いい加減ふざけるのはよしてください」 「ふざけてなどいない」 そう言って、男は笑みを薄くした。 「私はね、君の言うその"隠している実力"の内の観察眼から君を見て言ってるんだ」 珍しく微笑の消えたその男の表情には固まった。今までとは違う彼の気迫に思わずとも戸惑ったのだ。 「体の動き、衣擦れの音、歩行のしかた、その他諸々――男らしく振舞うぶん辺りにはばれていないようだが、私は女性の仕草を決して見落としたりしない」 妙に説得力のある男の言葉に、は声が出なかった。この場で「違います」などと言ってもまったく意味の無いようなことに思えた。そしてあれほど注意しながらも女を出していたという自分に腹が立った。 「前々から不振に思っていて、だからあんな強行手段に出たわけなんだが――」 "強硬手段"とは十中八九以前に抱きついたことだろう。 「君の体は男だった」 「――」 「私はね、真実を知りたいだけなんだよ。茨」 「明後日。宋太傳の思いつきとやらで宮中で武芸大会が開かれる」 突然話題を切り替えた楸瑛を、は不振な目で睨みつけた。彼はその視線に気付いているようだが、から視線をついと逸らし淡々と先を続ける。 「賭けをしようじゃないか」 「賭け、ですか」 「そう、賭けだ」と、藍楸瑛は言ってに一歩歩み寄った。 「君が私に勝ったら、私は君の望むことを叶えよう――君が負けたら――」 それは大きな賭けであった。は暫く無言で彼を見詰めていたが、意を決したように黒い瞳を光らせ――決意に口を開いた。 |
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